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飛鳥時代の天文学

ひと月近く前のニュースなので、既にリンク先の記事は消去されてしまっていますが、一応全文引用しておきます。

asahi.com「日本の天文観測、推古朝から 国立天文台が日本書紀分析」
 日本での継続的な天文観測は推古朝(飛鳥時代前半)の7世紀初頭に始まっていたとする研究結果を、国立天文台のチームが日本書紀の分析からまとめた。日食などの観測が必要となる暦づくりは皇帝の独占事業で、中国は影響下にあった周辺国に禁止していた。日本に律令制が芽生えたのは680年ごろとされるが、その半世紀以上前から、独自の暦づくりへ、布石を打とうとしていた可能性があるという。

 天文台の谷川清隆特別客員研究員らは日本書紀に記録がある日食、月食、彗星(すいせい)、月が星を隠す現象などについて中国の記録と比較した。
 その結果、620年にオーロラが記録されたのが最初でそれ以前には天文記録がないこと、620年以降には、日本でしか観測できない現象が2件、中国でも観測可能だが中国には記録のないものが1件あった。また、同年以降、中国と日本の両方で観測された彗星が5個あるが、記述の作法が違い、中国の記録の引き写しではなく、日本独自の観測の可能性が高いという。
 昼間に突然暗くなる皆既日食は誰でも気づくが、部分日食やオーロラなどは、観測の知識と技術がある専門家が空をずっと監視していないと記録できない。そのため、620年ごろから継続的な天文観測が始まったと結論づけた。

 古代、中国と主従関係を結んだ周辺国は、貢ぎ物を贈り(朝貢)、中国の暦を使う義務があった。5世紀の日本が倭(わ)国王として朝貢していた記録が中国にある。だが、607年に派遣された遣隋使は「日出づる処の天子」で始まる対等な国家とも取れる国書を持参したとされる。
 谷川さんは「国書を独立宣言と解釈すれば、暦づくりのために独自の天文観測が必要になったのではないか」と話している。
 律令体制下では、天文や占いをつかさどる役所「陰陽寮」が置かれ、専門職の天文博士、暦博士が天文観測と暦づくりを担当するようになった。(鍛治信太郎)


7世紀初頭から既に本格的な天体観測が実施されていたのもさることながら、日本でオーロラが観測可能という事に驚かされました。北海道ならまだわかりますが、畿内で見られるなんてちょっと想像がつきません。
ところが記録を紐解いてみると、実は何度かオーロラの出現が記されているようです。18世紀後半には長崎で目撃された記録が残っており、さらに昭和33年(1958)には関東や中部など広範囲で発生したことがあったそうですから、こちらは覚えている人がいるかもしれませんね。
ただ日本で観測可能なのは、暗赤色の「低緯度オーロラ」というもので、アラスカなどで見られるカーテン状に広がり緑色に光るオーロラとは異なるそうです。

天文学というと暦の作成に必須な訳ですが、推古朝より約半世紀後の斉明6年(660)には中大兄皇子により日本初の漏刻(水時計)が、天武4年(675)には占星台と呼ばれた日本最古の天文台が造られています。国内独自の天文観測を続けてきた成果なのかもしれませんね。そして占星台造営の翌年には、占筮・占星・漏刻を管轄する公的機関として陰陽寮が設立されました。
にも関わらず、正式な暦は中国から輸入したものが長きに渡って使い続けられていたのです。日本人の手により編纂された暦が用いられるのは実に一千年の後、貞享元年(1684)渋川春海が作成した「貞享暦」が採用されるのを待たなくてはならなかったのでした。

*参考サイト=・日本でも赤いオーロラが見られた!(NAOニュース)
       ・ジオ・クリエイション 日本から見られるオーロラ

*関連記事=かに星雲と藤原定家

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