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3×9=24??

報道されてからもう一週間ほど経っているニュースなんですが、個人的に興味深いので取り上げます。

神戸新聞「平安人は勉強家? 九九を何度も練習 豊岡の木簡」
 兵庫県豊岡市日高町の祢布ケ森遺跡で大量出土した木簡の中には、九九の練習で計算間違いをしているものがあった。調査した豊岡市教委は「当時の官吏の人間味が感じられる」と話している。
 木簡は勉強するとき、現代のノートのようにも使用していたという。間違いが見つかった木簡は長さ31.6センチ、幅2.9センチの細長い形で、裏面に九九を記していた。
 現代とは逆に大きい数の九九から始め、六九から四九までを飛ばした後、「三九廿四(さんくにじゅうし)」と間違えている。
 見つかった203点の大半は、この木簡のように文字や計算を練習した跡だった。表面を削って再利用できるが、木片も多く確認されており、繰り返し勉強した様子がうかがえる。(後略)


<関連記事>
YOMIURI ONLINE:「詩経」の注釈書かれた木簡発見…兵庫・祢布ヶ森遺跡
神戸新聞:木簡大量出土「冗談が本当に」 驚く研究者

木簡は810年前後のものと推定されるようで、都ではちょうど「薬子の変」が起こった頃にあたりますね。
ところで、九九がこんなに古くから日本に伝わり使用されていたとは、このニュースを見るまで私は知りませんでした。
調べてみると九九が考案されたのは、中国の春秋時代(B.C.770年〜B.C.403年)にまで遡るとのこと。なんと二千年以上も昔からあったとは!で、日本に入ってきたのは飛鳥時代、もしくは奈良時代と推定されているようです。かの「万葉集」の中にも、九九の読み方を掛け言葉的に織り込んでいる歌がいくつも見られます。

 若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國 (巻十一 2542番)
ーー若草の にひた枕を 巻きそめて 夜をやへだてる にくく(憎く)あらな國
「くく」と読ませる箇所に「八十一」という漢字を当てています。ちなみに大意は「新妻がかわいくて仕方がないので、たとえ一夜でも離したくない」ということだそうで。

今回のように木簡に九九が記されているのは、実は奈良時代のものにも見つかっているそうです。書物にまとまった形として記されている例では、源為憲という人物が天禄元年(970)に著わした、貴族の子弟のための教科書「口遊(くちずさみ)」の中の記述が、最も古いものとのことです。
当初は大きい数の「九九=八十一」から始まる形式だったため、一の位から始まるように変わっても、「九九」の呼び方だけは残ったようです。

最初読んだ時は、この官吏さんには悪いけど、九九くらいマスターしろよという気もしましたが(笑)、現代のように記憶力のよい子供の時から暗記させられる訳ではなく、大人になってから学ぶとしたら、なかなか覚えられないものなのかもしれないですね。
まあそれはともかく、木簡を何度も削って使いながら一生懸命勉強していた様子が伺えるのは微笑ましいですよね。

Comment

2008.07.07 Mon 21:41  |  3がつく数字(^^;)

す、すいません!!
ついさっきまで、3×9=24・・・
ふ〜ん、そういう木簡が・・・と思ってました(恥)
3×9=27、ですね(^^)

昔の人を笑えない・・・(汗)

で、江戸時代になると、数学が盛んになるのですよね♪
20世紀に解読された、ナントカの定理が、絵馬に答えが書かれていたり。。
数式を愛する者は、道楽者と言われたり(笑)
まだ、自分の知らない数式を求めて、放浪したり(浪漫)

この時代の人のがんばりの所産ですよね(きっと)
だとしたら、↑こんなていたらくで、申し訳ない・・・(平伏)

  • #7C/zVFSk
  • リューザキ
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  • Edit

2008.07.10 Thu 19:46  |  >リューザキさん

いえこちらこそ、タイトルが思いつかなかったので適当につけたんですが(汗)
紛らわしかったですかねv-356

江戸時代の数学というと和算ですね!
いくつかの分野では、西洋の数学と比べても相当高いレベルにまで発展していたそうですね。
読んだことはないですが、和算に熱中する人々を描いた小説もあるみたいですし。

以前本屋で和算の入門ドリルを立読みしてみたことがあるんですけど、
学校を卒業して以来、めっきり数学と離れてる頭には難しかったです…。
でも頭の体操にはちょうどイイかも!?

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