翔んでる!平賀源内
12/18は、 安永8年(1779)に平賀源内が亡くなった日にあたります。
この人の肩書きは、発明家・蘭学者・作家・本草学者・陶芸家・画家・鉱山家、はたまた今でいうイベンターやブローカー的な仕事まで多岐にわたります。現代ではその多才ぶりを評して「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも言われていますが、生前の彼は知名度こそ高かったものの、才能を全面的に生かしきる事はついにできずに、最期は獄死という不遇な生涯でした。
源内は享保13年(1728)、足軽の息子として讃岐国に生まれました。
才能を認められ藩命で長崎へ留学しますが、戻ってくると学問に専念するため役目を辞してしまいます。そして妹婿に家督を譲り、自由の身となった彼はまずは京・大阪へ出、ついで江戸にやって来て様々な人物と交遊しながら、活躍の場を広げていきました。
彼の行った事については、あまりにいろいろあり過ぎて調べるのがめんどくさ…いや紹介しきれないので有名なもののいくつかと、死に至る謎めいた経緯に触れてみたいと思います。
この人の肩書きは、発明家・蘭学者・作家・本草学者・陶芸家・画家・鉱山家、はたまた今でいうイベンターやブローカー的な仕事まで多岐にわたります。現代ではその多才ぶりを評して「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも言われていますが、生前の彼は知名度こそ高かったものの、才能を全面的に生かしきる事はついにできずに、最期は獄死という不遇な生涯でした。
源内は享保13年(1728)、足軽の息子として讃岐国に生まれました。
才能を認められ藩命で長崎へ留学しますが、戻ってくると学問に専念するため役目を辞してしまいます。そして妹婿に家督を譲り、自由の身となった彼はまずは京・大阪へ出、ついで江戸にやって来て様々な人物と交遊しながら、活躍の場を広げていきました。
彼の行った事については、あまりにいろいろあり過ぎて調べるのがめんどくさ…いや紹介しきれないので有名なもののいくつかと、死に至る謎めいた経緯に触れてみたいと思います。
源内の事績で、多くの人がまず思い浮かぶのが「エレキテル」でしょう。これは2度目の長崎遊学の折に壊れて棄てられていた物を持ち帰り、7年かかって自分で工夫して修理したものです。静電気を摩擦により発生させるだけの装置ですが、なぜか医療器機として喧伝され、あまりの評判に大名屋敷に出張して披露するほどでした。
また、山歩きの最中に石綿(=アスベスト)を発見し、それを織物にした燃えない布「火浣布」を開発しています。その他日本で初めて寒暖計や万歩計を作ったり、「風来山人」のペンネームで戯曲や浄瑠璃を書いて当たりをとったり、秩父で鉱山・金山の採掘に着手したりと、悪く言えばとにかく何でもかんでも手を出していました。
もっとも源内が本当にやりたかった事は、13歳の時最初に学んだ学問である本草学(今でいう博物学・薬学)だと言われており、江戸で薬品会と称した展示会をプロモートし大盛況を収めています。しかし源内は他家への就職を禁じられており安定した収入がなく、高価な蘭学本や西洋の博物図鑑の購入のため、なりふり構わず働きました。鉱山に関わったのも、鉱物に明るいので鉱脈を探り当てるのも容易いだろうという読みからでした。まさに山師(笑)
彼の夢は日本の本草学の集大成「日本自然志」を完成させる事でしたが、自宅の火事でせっかく収集した物産が被害を受けたり、秩父鉱山の方もうまくいかず休業に追い込まれたりと挫折を味わいます。生活のためにいろいろな仕事をこなすにつれ当初の志から離れていく事に、次第に失意を感じるようになったようです。
そんなイライラが募っていた頃、彼は事件を起こしてしまいます。
某大名宅の庭普請に際して庭木や石の入札があり、それに参加したいと門弟の米屋が源内にもちかけたので、酒を飲みながら源内宅で書面を広げて相談。ところが米屋の帰宅後、源内が作成した図面が見当たらず、米屋が持ち逃げしたと思い込み追いかけたものの「知らない」の一点張り。激怒した源内は米屋に斬りつけ、懐を探るも図面はなく、家に戻るとなんと図面は手箱に納まっていたのです。そして投獄され取調中に破傷風を病み、事件から約一月後に牢内で没しました。
…というのが一般的に伝わっている話ですが、実は源内の刃傷事件については公的な記録が残っておらず、別の説も存在します。某大名というのは当時権勢を誇っていた老中・田沼意次のことで、ただの庭普請の図面ではなく、田沼に関する特別な秘密文書を見られたため源内が逆上したとか、あるいは田沼に助命され彼の領地に匿われて余生を過ごした等という噂も流布しました。源内と田沼に交流があったのは事実のようですが、どの程度の関わりだったのかは定かではありません。
「解体新書」で有名な杉田玄白は源内と交流があり、その死を悼んで墓碑を建立し、自ら撰文を書いて結びの一句に「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(アア非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行ヒ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ)と記しました。世間の先を行き過ぎていた「非常の人」には、封建時代の日本はさぞ窮屈だった事でしょう。
ちなみに、彼の故郷にはこんな博物館があるそうです。エレキテルの工作してみたい!
余談ですがこのタイトルは、昔月曜20時に西田敏行主演でやってたコメディ&ミステリー時代劇(?)からパクったんだけど、このドラマ知ってる人いますか?私の周りでは誰も覚えてなくて悲しい(>_<) 子供心におもしろいなと思って見てたのに、ワンクールくらいで終わっちゃって、その後はまた「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」のローテーションに戻ってつまらんかった。どっかで再放送してくれないかな〜。
また、山歩きの最中に石綿(=アスベスト)を発見し、それを織物にした燃えない布「火浣布」を開発しています。その他日本で初めて寒暖計や万歩計を作ったり、「風来山人」のペンネームで戯曲や浄瑠璃を書いて当たりをとったり、秩父で鉱山・金山の採掘に着手したりと、悪く言えばとにかく何でもかんでも手を出していました。
もっとも源内が本当にやりたかった事は、13歳の時最初に学んだ学問である本草学(今でいう博物学・薬学)だと言われており、江戸で薬品会と称した展示会をプロモートし大盛況を収めています。しかし源内は他家への就職を禁じられており安定した収入がなく、高価な蘭学本や西洋の博物図鑑の購入のため、なりふり構わず働きました。鉱山に関わったのも、鉱物に明るいので鉱脈を探り当てるのも容易いだろうという読みからでした。まさに山師(笑)
彼の夢は日本の本草学の集大成「日本自然志」を完成させる事でしたが、自宅の火事でせっかく収集した物産が被害を受けたり、秩父鉱山の方もうまくいかず休業に追い込まれたりと挫折を味わいます。生活のためにいろいろな仕事をこなすにつれ当初の志から離れていく事に、次第に失意を感じるようになったようです。
そんなイライラが募っていた頃、彼は事件を起こしてしまいます。
某大名宅の庭普請に際して庭木や石の入札があり、それに参加したいと門弟の米屋が源内にもちかけたので、酒を飲みながら源内宅で書面を広げて相談。ところが米屋の帰宅後、源内が作成した図面が見当たらず、米屋が持ち逃げしたと思い込み追いかけたものの「知らない」の一点張り。激怒した源内は米屋に斬りつけ、懐を探るも図面はなく、家に戻るとなんと図面は手箱に納まっていたのです。そして投獄され取調中に破傷風を病み、事件から約一月後に牢内で没しました。
…というのが一般的に伝わっている話ですが、実は源内の刃傷事件については公的な記録が残っておらず、別の説も存在します。某大名というのは当時権勢を誇っていた老中・田沼意次のことで、ただの庭普請の図面ではなく、田沼に関する特別な秘密文書を見られたため源内が逆上したとか、あるいは田沼に助命され彼の領地に匿われて余生を過ごした等という噂も流布しました。源内と田沼に交流があったのは事実のようですが、どの程度の関わりだったのかは定かではありません。
「解体新書」で有名な杉田玄白は源内と交流があり、その死を悼んで墓碑を建立し、自ら撰文を書いて結びの一句に「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(アア非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行ヒ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ)と記しました。世間の先を行き過ぎていた「非常の人」には、封建時代の日本はさぞ窮屈だった事でしょう。
ちなみに、彼の故郷にはこんな博物館があるそうです。エレキテルの工作してみたい!
余談ですがこのタイトルは、昔月曜20時に西田敏行主演でやってたコメディ&ミステリー時代劇(?)からパクったんだけど、このドラマ知ってる人いますか?私の周りでは誰も覚えてなくて悲しい(>_<) 子供心におもしろいなと思って見てたのに、ワンクールくらいで終わっちゃって、その後はまた「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」のローテーションに戻ってつまらんかった。どっかで再放送してくれないかな〜。
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Comment
2005.12.26 Mon 02:29 | 源内いい!
平賀源内は日本史中でも、かなり好きな人物です。(どういう人だったかはよく知らないけど)この記事でお勉強させていただきました!源内を好きになったのは、実はみなもと太郎の「風雲児たち」を読んでからなんですが、源内は、ホント色んなことやってますよね。いつかは本格的に調べてみたいと思っている源内ですが、いつになるやら…。「風雲児たち」つながりで、大黒屋光太夫と高野長英も好きです。江戸時代は、戦いはないけど、魅力ある人物がいっぱいですね。
2005.12.27 Tue 00:42 | >mansaku21さん
こんばんは〜。おお、「風雲児たち」で源内に興味を持たれたのですか。彼はほんと、早過ぎた天才のイメージですね。もし明治以降に生まれて、自由に研究ができる場を与えられてたら、すごい業績を残したのではと思います。
まあちょっと「天才と○○は紙一重」的な所もありますが、そこがまた魅力かもしれません。
おっしゃる通り、江戸時代は大きな事件こそほとんど無いけど、個性的で才能のある人物が活躍していて、それはそれでおもしろい時代ですよね。