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壬生寺

今回は「壬生寺・八木邸・光縁寺」の3点セットツアーに行って来ました。
祇園祭のシーズンだから人多いかなぁと思ってたら、夏休み前で意外と穴場なのか、超すいてました!すごくゆっくり見られてよかったです。まあ単に大河ブームが過ぎ去った後かも?て気もしなくはないですが(笑)

まずは壬生寺。寺伝によると創建は平安京ができる前、奈良時代にまで遡るというとても古いお寺です。有名な「壬生狂言」も、鎌倉時代以来700年以上の歴史を誇っています。
昔は家屋も少なく静かな地域だった壬生一帯が、文久3年(1863)2月、江戸から浪士組の一団がやってきて滞在した時から、彼らのしでかす行いに否応なく巻き込まれていく事になります。

壬生寺1 本堂
(*クリックすると画像が拡大します)

壬生寺の境内。
ここで沖田総司が地元の子供たちと鬼ごっこなどをして遊んでいたという微笑ましい逸話もありますが、一方では組の兵法訓練の場に使われ、毎月4と9のつく日に参拝客を閉め出して大砲をぶっ放し、おかげで寺の屋根瓦や障子が破損したとか。訓練は屯所が西本願寺に移転してからも続いたそうで、お寺側からすれば迷惑極まりなかったでしょうね。
新選組関係のお墓や碑は、池の中の島になっている通称壬生塚という所にあります。

壬生寺2 芹沢鴨・平山五郎の墓 壬生寺4 河合耆三郎の墓
左から芹沢鴨・平山五郎の墓、勘定方の河合耆三郎の墓。
芹沢・平山の墓は、写真ではわかりにくいですが、まるで子供のお墓のような小ささです。ただ墓石は近年取り替えられているのできれいですけど。対照的に河合のお墓は、一般の人の身長よりも大きくて立派なものです。彼は当初光縁寺に葬られましたが、親族が自分たちの手で別に壬生墓地に建立しました。さすが米問屋のお坊ちゃんですね。

壬生寺3 新選組隊士の墓
隊士7名の合祀墓。このうち奥沢・安藤・新田は、池田屋事件で負傷して命を落とした人たち。田中伊織は、記録に残る死亡日が近い事などから検証して、初代局長の一人だった新見錦ではといわれてますが真相は不明。新見て長州の間者だったという説もあるし(長州の史料に彼の名が残ってるとか…)、かなり謎な人物だよなぁ。

壬生寺5 近藤勇遺髪塚 壬生寺6 近藤勇胸像
左は近藤勇の遺髪塔。表面の文字はだいぶ読み取り困難になってしまっています。
右は近藤の胸像。昭和46年に上田吉二郎という俳優の方が建てたそうです。うーん似てるのか似てないのか微妙…。てか頬骨が出ていて、トミーズ雅に似てるような!?
壬生塚には他に、「京都新選組同好会」によって建てられた新選組顕彰碑や、100円を入れると三橋美智也の「あゞ新選組」が流れる歌碑もあります。

余談ですが、敷地内に入った時、先客で近藤さんの像と「会話」してる女性がいまして(苦笑)。憧れの局長に会えて興奮していたのか、ずーーーっと像を見つめながら、時々何か話しかけてるんですよ。しかも、こちらに気付くと「私と勇さんの、二人きりの時間を邪魔しないでよっ!」とばかりに思いきり睨まれました…怖かったよ〜(T_T)

*公式サイト=壬生寺ホームページ


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2008.09.30 Tue 21:01  |  真相

週間ポストに観光地の疑惑が掲載されていたが、次は八木邸の真相があばかれる日が迫っている、恐ろしい!!

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