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ドラマ『太閤記』第1回

『功名が辻』とキャストが一部被っているのがどうかな?と、始まる前は気がかりだったけど、思っていたよりは楽しく見られてよかったです。ちびまる子ドラマよりこちらを選んだ甲斐があった(^^;
なんかねー、最近創作物に対して、史実と比較しつつ鑑賞するのに疲れてきたというか(考えなきゃいいんだけど、中途半端に知ってる分ついつい気になってしまって…)。その点『太閤記』なら、フィクション色が強いと最初からわかってるし、何より雰囲気が明るいから気楽に見られるのがイイ。
あと映像が、フィルム撮影で嬉しかった!やはり時代劇は、フィルムの方が雰囲気倍増でいいっすね。

藤吉郎=秀吉役の中村橋之助は、熱演していて悪くはなかったけど、どうしても品のよさがにじみ出ていたように感じました。「サル!」と呼ばれていてもサルに見えないんだもん(笑)。もっと出世して一国一城の主になるあたりからの方が、よりハマるかもしれませんね。まぁ大河の秀吉が、ほっぺ赤いわ晩年失禁するわの変な所でリアル路線だったから、対照的にこういうのもいいかも。
大河といえば、藤吉郎と渥美侘助(柄本明)が一緒のシーンでは、どうしても『功名〜』の三成&秀吉が思い出されてしまいましたよ(*_*) ずっと見ていれば気にならなくなってくるかな?

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歴史本『喧嘩両成敗の誕生』

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ー 世界にも希な奇妙な「法」はなぜ生まれたか ー
中世、日本人はキレやすかった!大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯、人命は鴻毛のごとく軽かった。双方の言い分を足して二で割る「折中の法」、殺人者の身代わりに「死の代理人」を差しだす「解死人の制」、そして喧嘩両成敗法。荒ぶる中世が究極のトラブル解決法を生みだすまでのドラマ。

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最新式のはずが…の五稜郭

大政奉還に不満をもち江戸を脱走した榎本武揚・大鳥圭介らの旧幕臣が、箱館の五稜郭を占拠したのは明治元年(1868)の10月26日のことです。そして五稜郭は、翌年の5月まで続いた日本最後の内戦「箱館戦争」の舞台となりました。

◆五稜郭の誕生
この日本最初の西洋式城郭の築造が始まったのは、安政4年(1857)のことです。その3年前に締結された日米和親条約で箱館の開港が決定し、北方防備のために建築を開始、7年後の元治元年(1864)ようやく一応の完成をみました。5つの稜が星型に突き出した形より『五稜郭』と名付けられました。同時に奉行所を城内に設置し、蝦夷地における幕府の本拠地としての役割も果たしました。
設計を担当したのは武田斐三郎(あやさぶろう)という人物。彼は緒方洪庵や佐久間象山に学んだ当代一流の蘭学者で、後に国産ストーブ第一号も制作したそうです。

◆旧幕府軍の入城
慶応4年(1868)に戊辰戦争が勃発すると、明治新政府は五稜郭を接収。名称を箱館府と改め、清水谷公考(きんなる)という公家の青年が府知事に任命されました。
しかし10月になって、上記旧幕府軍の一行が新天地を求めて蝦夷にやってきます。当時日本最強といわれた軍艦・開陽丸を擁する旧幕府軍の前には勝負にならず、若き府知事は命からがら青森へ落ち延びました。

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内通者の本心 ー 山田右衛門作

◆キリシタン最後の戦い
寛永14年(1637)の10月25日に、九州地方で島原の乱が勃発しました。有名な出来事ではありますが、乱の流れをかいつまんで説明するとー
肥前島原藩の藩主・松倉氏はかねてより苛烈な政治を布いており、ことに年貢の取立とキリシタン弾圧の厳しさは過酷を極めていました。島原はかつてキリシタン大名の有馬氏の領土だったことから、領民にもキリシタンの者が多数いたのです。あまりの圧政に耐えかねた民衆たちは農民一揆を引き起こし、その波は肥後の天草地方にも飛び火しました。天草も島原同様キリシタンの多い土地で、かつ激しい弾圧に苦しめられていたためです。
合流した一揆軍は、小西行長の遺臣の子といわれる16歳の少年・天草四郎時貞を総大将とし、廃城となっていた原城址に立て籠もりました。その人数は老若男女合わせ、約3万7千人にものぼったといいます。対する幕府側も総勢12万人を超える軍勢を派遣しますが、一揆軍の堅い守りに苦戦し、焦った上使・板倉重昌は強引な攻撃をかけ戦死します。しかし長期戦になるにつれ一揆側の弾薬や兵糧が尽き始め、頃合いを見計らった幕府軍は寛永15年2月27日に総攻撃を開始。翌日原城は落城し、4ヶ月にわたる一揆軍の抵抗は終わりました。

◆たった一人の生存者
落城時まで残っていた一揆軍の参加者はことごとく討死、もしくは捕えられて処刑されました。そのため乱後、島原南部と天草には領民がほとんどいなくなってしまい、諸藩で人数割をして移住させたほどです。しかし実は一人だけ、生きながらえた人物がいました。
その人の名は山田右衛門作(えもさく)。彼は一揆勢の幹部の一人でありながら、幕府側に内通していたため助命されたのです。取調べでの右衛門作の口上書とされている文書は、原城での篭城の様子がわかる貴重な資料となっています。一揆側から見れば右衛門作は卑劣な裏切り者ですが、彼は口上書の中で幕府へ内通するに至った事情について触れています。その経緯を紹介しながら、右衛門作の真意を推測してみます。

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大災害のつめ跡

神戸新聞「天正地震で沈んだ集落跡か」
 滋賀県長浜市沖の琵琶湖底にある下坂浜千軒遺跡で、中世に人が打ち込んだとみられるくいや石材が見つかり、滋賀県立大が14日、発表した。
 集落の一部とみられ、くいの年代分析や文献から、1586(天正13)年に起きた天正の大地震による地盤沈下で沈んだ可能性が高いという。
 調査した林博通教授(考古学)によると、琵琶湖には地震や津波などで沈んだとされる湖底遺跡が12カ所あるが、年代と水没原因の両方が判明したのは初という。
 マグニチュード(M)7.8と推測される天正の大地震では長浜城が倒壊、城主だった山内一豊の長女与禰(よね)も死亡した。
 調査範囲は長浜港南側の沖合約600メートルで、水深1〜3メートルの湖底。水没して枯れたとみられる自然木やくい、加工した石材などが約20カ所で見つかった。1952年に琵琶湖の水位が下がった際、近くで井戸枠が見つかっており、集落だったとみられる。(中略)

 震度6の揺れに見舞われたとみられる長浜城では、城主・山内一豊の長女与禰も命を奪われた。山内家史料によると、地震発生は天正13年11月29日の深夜。一豊は京都にいた。
 城内は真っ暗。一豊の妻が「与禰は無事か」と叫ぶ。家来が屋根を破って部屋に入ると、棟木が落ち、与禰は「乳母共に息絶えて」いたという。その後、城内から出火し、焼死者も「少なからず」と記されている。
 日本に滞在していたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスも長浜の被災状況を手紙で別の宣教師に報告していた。内容は伝聞だが「土地が陥没して人家の半分をのみ、他の半分は同時に発生した火事のため焼失してしまった」など、今回の調査結果と符合する記述もあった。

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TV『その時歴史が動いた〜細川ガラシャの生涯』

 本能寺の変で織田信長を討った明智光秀。その娘、細川ガラシャ (本名・玉) は謀反人の娘という汚名を背負い、世間や夫から厳しい処遇を受ける。そんな中、ガラシャが出会ったのがキリスト教だった。ガラシャはキリスト教の教えに次第に救われていく。
 しかし、関ヶ原合戦前夜、ガラシャを追いつめる事態が起こる。西軍・石田三成は戦いを有利に運ぶため、大名の家族を人質にとろうとし、丹後の大名・細川忠興 (ただおき) の妻、ガラシャを標的にした。
 夫からは「何かあった時は自害せよ」と命じられていたガラシャ。細川家の正室として自害をすべきか?一方、自殺を禁じたキリスト教の教えを守るべきか?
そしてガラシャは死を選ぶ。その死は、大阪城下の大名の妻子たちの行動に影響を与え、三成の人質作戦は失敗に終わり、関ヶ原合戦の帰趨を左右することとなる。
 番組では、イエズス会宣教師・フロイスの記した「日本史」や宣教師の書簡、細川家の記録から細川ガラシャの数奇な生涯をたどるとともに、近年オーストリアで見つかった細川ガラシャを主人公にした17世紀のオペラ楽譜台本を紹介する。


日本の歴史上の有名な女性で、私が最初に覚えたひとが、この細川ガラシャです。たしか子供向けの偉人伝に、簡単な生涯が載っていて。他に取り上げられてた人物は全然覚えてないのに、なぜガラシャだけ印象に残ったかというと、やっぱり最後の自害が子供心にも壮絶なものに感じたからかなぁ。
その時はただ気の毒な人と思ってたけど、大きくなってもっと詳しい彼女の境遇を知ると、だいぶ印象も変わりましたけどね。まぁそういう訳で、ファンとまではいかなくとも(そこまで熱心に調べてないし)、気になる人物ではあります。

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俳聖・芭蕉は忍者だった?

10月12日は、元禄7年(1694)に松尾芭蕉が亡くなった日に当たります。
芭蕉は旅先の大坂で体調を悪化させ、51歳で客死しました。遺骸は「死後木曽殿と塚をならべて欲しい」という遺言により、大津膳所の木曾義仲が眠る寺・義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られました。生前最後の句となった「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は、旅を愛し旅に生きた彼の強い想いがうかがい知れるように感じられます。

さて『俳聖』とまで呼ばれる俳句界の巨人・芭蕉さんですが、彼が「実は忍者だったのではないか?」という、有名な異説がありますね。主な理由として挙げられるのが、芭蕉が伊賀出身である事と『奥の細道』の旅行の目的や費用の出所が不明だから、という点です。その根拠と言われている部分を、ちょっと紹介してみます。

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歴史本『美少年日本史』

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美しき者たちの歴史 ー 天草四郎や森蘭丸をはじめとした、神話時代から現代に至るまでの日本の歴史を彩る「美少年」像の変遷を、驚異的な博識でもって語りつくす。講談本などから挿絵図版を多数収録。

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TV『歴史に好奇心〜黄金島・ジパング』

NHK教育の番組『知るを楽しむ』の木曜日の枠で、4月から始まった『歴史に好奇心』。
歴史に残る事件・人物ではなく、昔の人の生活や文化に密着したテーマを扱っており、毎回なかなか興味深い内容となっています。個人的には、最近では『そのとき歴史が動いた』よりも楽しみになってます(^_^;
先月放送されたシリーズは、かつてマルコ・ポーロに「黄金の国」と書かれた、日本で産出される金の歴史を紹介していました。

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