『"ホンモノ"たちが教科書をとびだした!』展

(*クリックすると画像が拡大します)
神戸市立博物館で開催されている企画展『"ホンモノ"たちが教科書をとびだした!〜ザヴィエルや銅鐸たちにあいにいこう〜』に、先日行って来ました。
この展覧会は「歴史の教科書に度々登場する資料の『ホンモノ』を実際に見てみよう」というコンセプトで企画されたものです。チラシのデザインや、開催時期がちょうど夏休み(*7/22〜9/3)というのでわかるように、子供がメインの対象になっています。私が行った時にも、メモを取りながら見ている子供や学生が何人かいました。
ちなみに入館料はたったの200円!なんて素晴らしい価格破壊ぶりなんでしょうか。

受付横に飾ってあった、フランシスコ・ザヴィエル像の複製画(本物も展示室にありました)。「記念写真コーナー」となっており、撮影可だったので撮って来ました。
まさに教科書に載っていた、ザヴィエルが十字架を見上げているおなじみの絵ですねー。この絵は戦国期のキリシタン大名・高山右近の旧領の寺で、開かずの箱に入れられて秘匿され、キリスト教が禁教だった江戸時代を切り抜けて残ったのだそうです。そんな由来があったとは知らなかった…。
[More...]
- Tag :
- 歴史雑学
信長と秀吉ゆかりの品
リンク先にくだんの陣羽織の写真が載ってますが、一目見て「趣味悪っ!!」と思ってしまった(^^ゞ たしかに豪華は豪華だし、普通にペルシャ絨毯として見ればいいものなんだろうけどさ〜。これを着用した秀吉の姿を想像すると、何とも珍妙ないで立ちのような気が…。京都新聞「秀吉の豪華な陣羽織復元 高台寺で披露 400年前のペルシャ製」
16世紀のペルシャじゅうたんから仕立て、豊臣秀吉が使ったと伝わる陣羽織が復元新調され、21日、秀吉ゆかりの高台寺(京都市東山区)で披露された。金や銀をふんだんに使った南蛮伝来の豪華なつづれ織りの輝きがよみがえった。
高台寺が所蔵する重文・鳥獣文様陣羽織で、もとはポルトガルのインド副王から秀吉に贈られたタペストリーを裁断し、仕立てられたという。朝鮮出兵の際に拠点とした名護屋城(佐賀県)で、秀吉が身に着けたのではないかとされる。(中略)
陣羽織は丈が99・4センチ、肩幅59・4センチ。素材には日本独特の金糸ではなく、より純度の高い金線を約3000メートル分も織り込み、退色の早い銀糸の代わりにプラチナを用いた。草木染を使った26色を基調に、獅子が獲物に襲いかかる図柄などペルシャの伝統的な文様を再現した。(後略)
まぁよく言えば、キッチュなセンスという事になるのかしら?
柏原(かいばら)藩は信長の弟の信包を藩祖とし、一旦は嗣子が絶えて廃絶となりますが、後に織田信雄(信長の次男)の子孫が移封され、以後明治までずっと織田氏が治めました。現在でも「柏原藩織田まつり」という催しが行われているそうです。神戸新聞「信長着用?天下の刺繍布 直衣の切れ柏原高で発見」
丹波市柏原町の兵庫県立柏原高校は22日、江戸初期から中期を中心とした織物の切れ115点を集めた冊子が校内から発見されたと発表した。織田信長が着たとされる「信長直衣(のうし)の切」などが収められている。
同市柏原町は、信長直系の子孫が治めた柏原藩があった地で、1897(明治30)年に柏原尋常中学、1903(同36)年に町立柏原女学校が開校した。
冊子は、横30センチ、縦21センチに折りたたまれた帯状で、「古代錦繍(きんしゅう)帖」と書かれている。織物の切れの脇には、年号や提供した個人や寺の名前が添えてある。
「織田信長使用直衣の切」は、横6センチ、縦12センチの絹製の布で、青い菊のような模様の精密な刺繍が施されている。(後略)
直衣の切が本当に信長の物かはさておき、古い織物の切を集めた冊子は、それはそれでなかなか興味深いものだと思います。
- Tag :
- 戦国時代
百万石が生んだ青い壁
青い壁(天井)を持つ建物の中でも代表的なのは、兼六園に隣接する成巽閣。ここは文久3年(1863)に、13代藩主の前田斉泰が母親の為に造営したものです。 極彩色で透かし彫りされた欄間やオランダ渡来のギヤマンの絵が飾られた、格式ある造りの1階も見事ですが、さらに驚かされるのは2階の「群青の間」と「書見の間」。群青色の天井に朱色や紫の壁という、日本の建築様式の色彩感覚からはかけ離れた造りに目を奪われることでしょう。
この天井に使用されている青色顔料は「ウルトラマリン」といいます。宝石のラピスラズリを粉末にしており、古来より非常に貴重な顔料でした。19世紀初めに人工的に精製する方法が開発されたものの、幕末当時はまだ依然として高価なものだったそうです。輸入してはみたものの、買ってくれそうなのは百万石を誇る前田家くらいだろうと践んだ商人が加賀に持ち込んだらしく、日本に輸入された最初かごく初期のものと考えられています。
加賀藩では群青色の壁は贅沢だとして、前田家以外の使用を禁じていました。それだけに財力の象徴としての憧れが強く、明治維新後に解禁されると、裕福な家は群青の色壁を造るようになりました。現在でも、古くからの旧家や名家といわれる家に行くと、群青の壁の部屋が残る所がいくつかあるそうです。
「青い壁」の好き嫌いは別れるかもしれませんが、他の街には見られない独特の豪華で妖しい魅力の建築は、一見の価値ありと言えると思います。
・・・と、まるで観て来たかのように書きましたが、私は成巽閣には行った事がないんですよ(笑)。写真で見たのみで。
金沢は学生の時に一度行きましたが、激安ツアーだったためスケジュールがハードで、正直あまり印象に残ってないのです。兼六園は一応行ったけど、見学時間がめちゃめちゃ短かった上に、結構混雑していたので風情も何もなかったし。おまけに宿泊先のホテルもイマイチだったし、やっぱりあまりに安いツアーはロクなもんじゃないですね

いつかもう一度金沢を訪れて、今度はゆっくりと観光したいな〜。
*参考サイト=成巽閣のホームページ
金沢散歩道
(「金沢を観る」→「にし茶屋街」に『料亭華の宿』の青い壁の部屋の写真があり)
- Tag :
- 歴史雑学
ご無沙汰してます
- Sat
- 23:25
- 徒然雑記
お盆休みで海外へヴァカンスに行っていたので・・・な〜んて理由だったらよいのですが、実は諸般の事情で時間的にも精神的にも、パソコンの前に座ることがちょっと難しくなってる状態なのです。
決して歴史に飽きたり、ブログに嫌気がさしたり、まして料金未払いでネットを止められている(^^;)という訳ではないので、早く復帰したい気持ちはあるんですけどね。ただ、今は本を読んだり調べ物をしたりといったことにもあまり時間が取れないので、元のペースに戻るにはまだ少しかかるかもしれません。
まぁこんなに大げさに書いていても、もしかしたらほんの1週間程で以前の調子に戻っているかもしれませんが(笑)、ぽつぽつとでも更新できるように頑張りますんで、ふと思い出した時にでもまた覗いてみて下さい。
古き良き東京
銀座・丸の内・浅草・帝国ホテル・クラシックカーなどの様子が収められています。NHKで放送されたものだそうで、元々はアメリカが制作した記録用の短編映画のようです。終戦直後のカラーフィルムなら見たことがありますが、戦前となると大変珍しいのではないでしょうか?
モノクロは趣きはあるけれど、いかにも古色蒼然として遠い時代だなぁと思いますよね。でもこうして鮮明なカラーで見ると、当時の情景がより一層リアルに感じられる気がします。特に丸の内は、建物がアールデコ調でカッコいい!^^
しかし間もなく戦争に突入し、そして東京大空襲で町の大半が消失したのかと考えると、かなり悲しくなりますが…。
何にしろ貴重な映像だと思われますので、ぜひ見てみて下さい。
- Tag :
- 昭和時代
HN変更のお知らせ&第二回アンケート結果
- Sun
- 01:37
- ブログ管理関連
「影千代」に改名することにいたしました。
このブログを始めた頃は「一見暗号のような、意味不明な名前をつけたい」と思っていた(と言いつつ、一応意味はあったんだけど)のであんなのにしたんですが、よくよく考えたら訪れてくれる方にとっては、読みにくい&覚えにくいHNてどうなんだろう?と思うようになりまして。それで覚えやすい日本語名にしてみました。
由来はまぁ…プロフィールの欄に書いてるんで、わからん人は見て下さい(「『ハットリくん』て何ですか?」て聞かれたらどうしよう
)お世話になっているHP・ブログに書き込む際には、当分の間「元gungnir25」と併記させてもらいます。しばらくは馴染めないかもしれませんが、よろしくお願いします。
さて、サイドバーで募集していた「徳川将軍人気アンケート」ですが、先日締め切らせていただきました。
[More...]
江戸城を築いた男 ー 太田道灌
道灌の生きた時代は、ちょうど戦国時代前夜にあたります。畿内では応仁の乱が起こり混乱の時代に突入した頃ですが、関東地方でもまた幾多の争乱が繰り返されていました。この辺の事情がかなりややこしいので、時代背景も簡単に説明しながら、道灌の生涯を紹介してみたいと思います。
◆関東管領を支える家柄
太田道灌は永享4年(1432)に生まれました。道灌というのは仏門に帰依して以来の号で、諱は持資(もちすけ)→資長と名乗ってます。太田氏は源頼政の末裔で代々相模国に住み、道灌の祖父の代より扇谷(おうぎがやつ)上杉家の家宰(=執事)として仕えていました。
扇谷上杉家とはどんな家かというと ー 室町幕府は関東地方の統治のために、出先機関として鎌倉府を設置しました。その長は俗に「鎌倉公方」と呼ばれ、足利尊氏の次男・基氏を初代とし、以降その子孫が継承します。そして京の将軍を補佐する管領が設置されたのと同様、鎌倉公方も補佐役として「関東管領」が置かれました。
関東管領は、古くから尊氏に仕えていた上杉氏が世襲する形になります。やがて上杉氏は分流しますが、関東管領職はほとんど山内上杉家が独占し、分家の扇谷上杉家は蚊帳の外状態でした。しかし道灌の父・道真の頃から、彼の補佐を受け少しずつ勢力を拡大していったのです。
◆扇谷上杉家のために尽くす
父の道真は文武両道で人望も厚い大変優れた武将で、その血を継いだ道灌も鎌倉五山で学んだ幼少時から、英邁との評判が既に広まっていました。
道灌が扇谷上杉家の家宰に就いたのは康正元年(1455)。きっかけとなったのはその前年、鎌倉公方の足利成氏が管領の上杉憲忠を謀殺した事でした。成氏は続いて扇谷家の当主・顕房も攻め自害させます。道真は主君の死により出家し、家督を息子に譲りました。
山内家と扇谷家は協力し合って成氏に対抗し、幕府の命令を受けた今川氏の援軍も得て、成氏を下総古河に追い払いました。その後道灌は主家の命により武蔵国豊島郡に江戸城を築城(=長禄元年(1457))し、更に父の協力を受けて岩付城の築城・河越城の補修にも着手。この3つの城を結ぶ防衛線が出来上がったことにより、扇谷家の勢力伸張は目覚ましいものとなりました。
[More...]
- Tag :
- 室町時代
2008年度の大河ドラマが決定
スポーツ報知「08年大河は「天璋院篤姫」…「義経」以来の宮尾登美子さん原作」
2008年のNHK大河ドラマが宮尾登美子さん原作の「天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)」(講談社)に決まったことが31日、分かった。宮尾作品が大河ドラマになるのは「宮尾本平家物語」「義経」が原作だった滝沢秀明(24)主演の「義経」(05年)以来となる。
「天璋院ー」は薩摩の島津家の分家に生まれ、藩主・斉彬の養女となった篤姫(1836〜83年)がヒロイン。斉彬から見込まれた篤姫は、政略によって13代将軍家定の正室として江戸城に送りこまれ、やがて大奥3000人のまとめ役となる…というストーリー。(後略)
私は原作小説の「天璋院篤姫」がとても好きなので、映像化されるのは嬉しいです!Amazonのレビューによると、80年代に一度ドラマ化されたことがあるらしいけど、そちらは見ていないので。
でも「義経」から3年しか経たないのに、また宮尾さんの原作てのはどうなんだろう…。もっと他にも、題材にできる作家や小説(特に若手のもので)はないんですかねぇ。まあ大河ドラマ的には、原作者にもネームバリューがないと視聴率が取れないと考えてるのかもですが。
キャストは追って発表になるんでしょうけど、篤姫は菅野ちゃんのイメージがいまだ強いので、いったい誰になるのか期待と不安が半々…といった気分。
女性が単独で主人公の物語は「花の乱」以来になるのかな?あれは低視聴率でしたが、「おんな太閤記」(←見たことないが)や「春日局」は人気があったそうなので、最近の大奥ブームにも当て込んで"夢よもう一度〜"という感じなんでしょうか(笑)
ただ気になるのは、大河での幕末ものは視聴率があまりよくないというジンクスがあるんですよね。視聴率は良いに越したことはないですが、やっぱり見る側としては、まず第一に作品としていいものを作って欲しいです。
新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)
宮尾 登美子
講談社 2007-03-15
売り上げランキング : 15330
Amazonで詳しく見る by G-Tools
