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等持院

龍安寺を出て、足利将軍家歴代の菩提所である等持院に行きました。
ここ、龍安寺から歩いて10分もしない距離なのに、立命館大学の裏手で少しわかりにくい立地のせいか、もしくはあまり宣伝をしてないのか、ほとんど観光客がいませんでした…。まぁゆっくり見られてよかったけど。

等持院1 山門
(*クリックすると画像が拡大します)

等持院の入口。
この寺の由来は、暦応2年(1339)に足利尊氏が洛中に建立した「等持寺」という寺院に始まります。その2年後、後醍醐天皇と南北朝の戦乱で陣没した兵士たちの冥福を祈るため、夢窓疎石を開山とした別院の「北等持寺」を衣笠山麓に建てました。尊氏の死後に墓所が北等持寺に定められ、彼の法名に因んで寺号を等持院と改称し、応仁の乱後に本寺を合併しました。
作家の水上勉は少年時代に等持院に寄宿した経験があり、後に小説『雁の寺』に登場する「孤峯庵」のモデルとしています。また大正時代には境内に映画の撮影所があったそうです。

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龍安寺

お次は、石庭があまりにも有名な龍安寺に行って参りました。随分久しぶりの再訪だったので、かなり楽しみにしていたのですが・・わざわざGWに行った私が間違いだった(泣)。まぁとりあえず寺の紹介を。

龍安寺は宝徳2年(1450)、公家の徳大寺家の別荘だった土地を、室町幕府の管領を務めていた細川勝元が譲り受け、妙心寺住持の義天玄承を開山に迎えて創建されました。しかし間もなく、勝元自身が東軍の総帥として戦った応仁の乱で焼失したため、長享2年(1488)に勝元の子の細川政元によって再興されます。その後、寛政9年(1797)の火災で方丈・仏殿・開山堂などの主要伽藍を焼失し、現在の方丈はその時に塔頭のひとつである西源院の方丈を移築したものです。
Wikipediaの「龍安寺」の項目によると、創建当初の境内は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたり(寺から徒歩約10分)まであったらしいとのこと。また現存する塔頭は3か寺ですが、最盛期には21か寺を数えたそうです。

龍安寺3
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石段の下から庫裡を見上げた所。
高い切妻破風の庫裡に、白壁と直線的な木組の調和が、禅宗寺院建築の簡素にして重厚な構成美をかもし出しています。

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仁和寺

「御室桜」と呼ばれる桜の名所として知られる仁和寺は、平安時代初期から千年以上に渡る歴史を誇る寺院です。

仁和2年(886)に当時の光孝天皇の勅願で建て始めましたが、天皇は完成を見ずに翌年崩御。しかし次の宇多天皇が先帝の意志を継いで寺は仁和4年に落成、年号をとって仁和寺と号しました。宇多天皇は菅原道真を重用した事で知られる方ですが、退位後は出家し「御室」と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」との別称があります。また以来明治維新まで、仁和寺の門跡は皇子や皇族が代々務めました。
平安中期以降、皇室・貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えましたが、応仁の乱で伽藍が全焼。現代見られる建物は、それから100年以上経った寛永11年(1634)に、徳川家光の寄進により再興されたものが中心となっています。

仁和寺10 金堂
(*クリックすると画像が拡大します)

国宝の金堂。安土桃山期に建てられた京都御所の正殿・紫宸殿を、寛永の再興時に移築・改造し本堂としたもので、当時の宮殿建築の雰囲気を残す貴重な建物です。
本尊は阿弥陀如来像で、寺内の霊宝館に安置されています。

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小説『魔将軍 - 室町の改革児 足利義教の生涯』

4575235431魔将軍 - 室町の改革児 足利義教の生涯
岡田 秀文

双葉社 2006-03
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「かりに予が将軍となれば、あくまで予は予の姿勢を貫き通すであろうぞ。さすれば守護大名や宿老たちが、予を将軍へ推したことを後悔するであろう」ーそう言い、くじ引きで将軍の座についた足利義教。“威をもって治める”を旨とし、強い幕府、強い組織をつくるため次々と改革を断行するその姿は、後世の指導者たちが目指すところとなった。信長も秀吉も家康もみな、この男の真似にすぎなかった。
足利義満の三男として生まれ、室町幕府の最盛期を築いた6代将軍の生涯を描く書き下ろし時代小説。

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映画化決定&大河化希望

自分的にツボなニュース2本です。まずは、ワイドショーやスポーツ新聞等で、知ってる方も多いと思いますが…。

サンケイスポーツ「映画版「大奥」に仲間由紀恵が主演…究極の悲恋物語」
 女優、仲間由紀恵(26)がフジテレビ系ドラマの映画版「大奥」に主演することになり、このほど製作元の同局と東映から発表された。
 同作は大奥史上、最大のスキャンダル「絵島生島事件」を映像化。齢4つの徳川7代将軍・家継の時代を背景に、歌舞伎役者と禁断の恋に落ちる大奥女中、絵島(仲間)の波乱の生き様を描く。(中略)
 ドラマ版を手掛けた同局の保原賢一郎プロデューサーは、「最終章にふさわしく将軍の寵愛争奪を描いてきたこれまでとは違う、究極の悲恋物語を選んだ。繊細さの中に凛とした強さを感じさせる仲間さんがピッタリだと思った」と説明。
 NHK大河ドラマ「功名が辻」に続き、大役に抜擢された仲間は「テレビシリーズは楽しみに見ておりました。大奥を学び、私なりに大奥の女性を演じられれば」とのコメントを寄せた。
 ほかのキャストは選定中だが、同シリーズのOG女優や同局の女子アナを総出演させ、豪華絢爛な“女優絵巻”を目指す。(後略)

仲間さんは「SHINOBI」以来時代劇づいてますね。映画ならではの豪華なセットは楽しみだなぁ。TV版での出演者がまた見られるのも嬉しいけど、オールスターキャストにこだわるあまり、物語が破綻しなければいいんですが。
しかし女子アナって・・別にいらねーよ(-"-;) どうしても出すのなら、隅の方に控えている腰元の役(勿論台詞なし)ででも(笑)
華やかな大奥の次は、戦国の渋い知将の話で。

神戸新聞「播磨の知将 黒田官兵衛に光を/姫路で顕彰会設立へ」
播磨出身の戦国武将・黒田官兵衛に光を当てようと、姫路市の歴史愛好家らが近く「播磨の黒田武士顕彰会」を設立する。官兵衛は豊臣秀吉の軍師として天下統一を助け、その生涯は故司馬遼太郎氏の小説「播磨灘物語」にも描かれているが、人物像や功績は意外と知られていない。今年はNHK大河ドラマで、同じ秀吉に仕えた山内一豊とその妻千代を描いた司馬作品が放送中で、関係者らは「地元からブームを巻き起こし、官兵衛を主人公にした大河ドラマを実現させたい」と意気込んでいる。(後略)

官兵衛は私も好きなので、もし本当にドラマ化が決定したら嬉しいけどね〜大河で司馬リョー先生原作ものとなると、今からまた数年は間を空けないと難しいんじゃないかな?
テレ東の正月時代劇でも構わないけど、あの枠で官兵衛の話では、ちょっと地味過ぎますかね(苦笑)

ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』

京都巡りの記事はちょっとお休み。今日は神戸市立博物館に「江戸の誘惑」と題された浮世絵の展覧会を見に行ってきました。
私は西洋の絵画展は好きで時々見に行くけど、日本美術にはまるで疎くて…。しかし今回は、ボストン美術館所蔵の作品が1世紀ぶりに里帰り公開というのと、版画ではなく肉筆で書かれた1点ものが多数揃ってるというプレミア度に惹かれて、足を運んでまいりました。

ところで何故こんなにたくさんの貴重な作品がボストンにあるかというと、明治時代に来日したアメリカ人医師のビゲローが気に入って買い集め、それを美術館に寄贈したからだそうです。彼の遺志でコレクションは門外不出とされていたため、その全貌が判明したのは今から10年程前のことで、この度やっと里帰りが実現したというわけです。
浮世絵がアメリカ人のおかげで散逸を免れたてのは、大変ありがたいけど何だか複雑な気も。フランスの印象派にも大きな影響を与えたのに、当の日本では西洋崇拝の風潮に呑まれて、浮世絵は衰退し忘れられていったんだから皮肉ですね。そういう自分も、前述の通り日本の美術の事あまり知らないし(爆)

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建仁寺

霊山を見学した後、本当は伏見方面に出て東福寺や泉涌寺を回る予定だったのですが・・・あまりの大雨に行く気力が失せてしまい、とりあえず雨宿りも兼ねて、霊山から一番近くにある建仁寺へ行って来ました。

建仁寺は、栄西により建仁2年(1202)に開創されました。栄西は臨済宗を宗から日本に伝えた人物ですが、当時の京は比叡山延暦寺の勢力が強く、禅宗の寺を開くのは難しい状況でした。そこで鎌倉に下向して幕府に庇護を求め、当時の将軍・源頼家の援助を得て、頼家を開基としてようやく建立に漕ぎ着けたのです。諸堂は中国の百丈山を模して造営されたそうです。
応仁の乱など何度か火災に遭い、創建当時の建物は残されていませんが、日本最古の禅寺として高い寺格を保ち続けています。

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建仁寺三門。別名望闕楼(ぼうけつろう)とも呼ばれています。
江戸末期の建築で、元は静岡県浜松市の安寧寺にあったものを移築したそうです。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。

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霊山護国神社

霊山歴史館の向かい側に、坂本龍馬や中岡慎太郎などの維新志士たちが眠る、京都霊山護国神社があります。

ここは慶応4年(1868)5月、明治維新の実現の為に倒れた多くの志士たちの霊を慰める目的で、明治天皇の発案によって創建されました。この地に築かれたのは、幕末に尊攘派志士達の聖地とされていたからです。当初は霊山官祭招魂社と称していましたが、昭和14年に京都霊山護国神社と改称しました。 嘉永6年(1853)以降の殉難者や戦没者が、1356名祀られているそうです。
人数からすると、おそらく長州が一番多いでしょう。池田屋事件や禁門の変などでの殉難者の碑が建ち並んでいます。その次に多いのは土佐かな。でも不思議な事に、もう一つの倒幕運動の中心藩だった薩摩は全然見当たらなかったんですよねー(探せば幾つかはあるのかもしれないけど)どうしてだろう?

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『吉田松陰と幕末の英雄』展

GW最後の2日間に、京都へ行って来ました。2日目は雨にたたられて散々でしたが…。いろいろ回れたので、しばらく記事のネタに困らなくていいかなと(笑)
まずは、霊山歴史館で行われていた特別展「吉田松陰と幕末の英雄」の感想です。

翠紅館跡
(*クリックすると画像が拡大します)

霊山歴史館の南側にある、翠紅館跡。
元は西本願寺の別邸でしたが、幕末には攘夷派志士たちの会合が度々行われ、文久3年(1863)正月27日には武市半平太・井上聞多・久坂玄瑞ら多数が、ついで同年6月17日にも桂小五郎・真木和泉守らが集まりました。この「翠紅館会議」で、各藩の志士代表者により攘夷の具体的な方法が検討されたといいます。
現在は料亭になっているそうです。こんな所でお食事できたなら、幕末好きとしてはたまらないでしょうね♪(予算に余裕があればの話だけど・・・)

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今日の戯言・中世がマイブーム

テーマに沿った記事ではなくて、こういう日記めいた雑談を以前は時々書いてたんだけど、いつの頃からか書かなくなってたなぁ。
でもGW中でネタがない(←関係ない)ので、久々に復活してみます(^^;

近頃、鎌倉から室町時代にかけての中世に興味が湧いてきました。
これといったきっかけは別にないんですが・・。鎌倉でも初期の頃(承久の乱くらいまで)は前から好きだったんだけど、それ以降は教科書に毛の生えた程度の知識しかなくて。これではイカンと思い、ちょこちょこ調べたりしてるうち、徐々にハマっていったて感じ。
しかしこの時代て、関連本が超少なくて悲しいわー。不人気の要因としちゃ、戦国のようなわかりやすい英雄不在てのが大きいんでしょうが、でもその分いろんな意味で個性のキッつい人間が結構多いのよ。時代としての、そういう混沌さも魅力の一つと言えるかな。それに「中世」て響きだけで、ロマンティックでワクワクしませんか(何じゃそりゃ)?
まーまだ勉強し始めたばっかで、特別関心のある人物や出来事を滔々と語れるようなレベルではないので、あんまり細かいことツッこまないでね(笑)

しかし我ながら、飽きっぽいというか移り気というか・・・。
去年は幕末幕末て騒いでたのになあ。来年あたりは「今、奈良時代がキてる!!」とか言い出してるかも(苦笑)

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