歴史本『平家物語図典』
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平家物語に見る中世の武士と庶民の暮らし
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という冒頭句で有名な『平家物語』。軍記文学としてよく知られるこの物語は、謡曲や御伽草子、近世の浄瑠璃、歌舞伎、小説などに取り入れられ、さらに近代文学にも大きな影響を与えている。本書は、琵琶法師が語り継いだその世界を、339点にも及ぶカラー絵画史料と写真で、中世の歴史への手掛かりや古典文学を読む手引きとする。武士のいでたちや合戦の様子を克明に解説し、物語の舞台・ゆかりの地を訪ね、登場人物たちの生活と行動を探っている。絵巻でストーリーの流れを追い、巻末には系図、関連本、登場人物紹介も付した。歴史・古典好きはもとより、美術愛好家にとっても、もちろんNHK大河ドラマのファンにも必携の書である。
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一枚の古地図
読売新聞「シーボルト事件遠因? の「新訂万国全図」〜英国製元図を発見」
江戸時代末期に作られた日本初の近代的世界地図「新訂万国全図」の元になったイギリスの古地図が東京都内で発見された。シーボルト事件のきっかけになったとも言われる地図で、幕末外交史の一面を明らかにする史料として注目される。イギリスの地図作製者アーロン・アロースミスが1800年ごろに作った縦約1.3メートル、横約2メートルの銅版画の世界地図。(中略)
1810年(文化7年)に幕府天文方、高橋景保(かげやす)が完成させた「万国全図」は、ロシア船の蝦夷(えぞ)地(北海道)来航に危機感を強めた江戸幕府が高橋に命じて作らせた、初の近代的測量技術による世界地図。その際、高橋はアロースミスの地図を参考にしたとされる。(中略)
樺太(サハリン)は「2島説」や「半島説」もあったが、高橋は現地に派遣した間宮林蔵の調査結果とアロースミスの地図を元に「1島説」を採用。しかし、高橋は「万国全図」の完成後も樺太の形状について確信をもてず、オランダ商館医シーボルトが所有していたロシア人の樺太地図を譲り受ける代わりに、国禁の日本地図などを渡し「シーボルト事件」に発展した。
*シーボルト事件
長崎・出島のオランダ商館医シーボルト(1796〜1866)が1828年(文政11年)、幕府天文方で書物奉行の高橋景保から伊能忠敬の「大日本沿海輿地(よち)全図」や間宮林蔵の樺太探検記などを受け取り、国外に持ち出そうとした事件。シーボルトの船が難破したために発覚。シーボルトは国外追放、高橋は獄死した。
高橋景保という人は、伊能忠敬が弟子入りした幕府の天文方・高橋至時(先生といっても、忠敬より20歳くらい年下)の息子で、忠敬亡き後は日本地図の清書を担当し完成にこぎ着けた人物です。しかし景保自身も地図を作っていたとは恥ずかしながら知りませんでした。
シーボルト事件では景保の家族や門人たちまでも厳しい処罰を被ったのは無論、本当かどうかよくわからないのですが、獄死した後も彼の遺骸は「刑」を受けて(判決が出る前に死んでしまった為)、酷い扱いをされたという話もあるそうです。
もしシーボルトの乗った船が難破せず無事オランダに着いていたならば、景保は平穏な一生を送ることが可能だったのでしょうか?どちらにしろ、彼もあと数十年遅く生まれていたならば、誰に心おきなく洋学の研究をしたり外国人と交流できたでしょうにね…。
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江戸の大数学者 ー 関孝和
孝和の生年は一般に寛永19年(1642)と言われていますが、これはかのアイザック・ニュートンと孝和を同年生まれに設定しようと後世の人物が書いた嘘がいつしか通説になってしまったらしく、実際は1640年前後ではっきりしてません。また出身地も上州(群馬県)藤岡と江戸の2説があるようです。
子供時代の事も多くは判明していませんが、長じて徳川家光の次男にあたる甲府藩主の綱重とその息子の綱豊に仕え、綱豊が家宣と改名し6代将軍に就任すると幕府の勘定方、後に納戸組頭となります。
その一方で若い頃から和算の研究を続け、中国からの移入数学であった和算を日本独自の数学にまで高め「算聖」と呼ばれました。ではその業績を簡単に見てみましょう。
孝和はそれまでの算木による代数学を大幅に改良し、記号を使う筆算式の数学を独自に作成しました。それは現代の代数学と同じ方程式の書き方(記号法)に通じるもので、これにより和算は飛躍的な発展をとげます。
また連立一次方程式の解を求める公式を生みだし、これを多元に広げて行く過程で三次行列式に相当する算法を導入し、かつ四次、五次の行列式にまで及んでおり、西洋でのライプニッツの発見より早いということで「世界で最初に行列式を考案(1683年)した」と言われています。
ちなみにライプニッツはニュートンと同時期に微積分法を発見した数学者で、今日使用されている微分・積分の記号の多数は彼の創案によるものです。
そしてスイスの数学者ベルヌーイが1713年に発表した、自然数(正の整数)のn乗の和を求める計算法を、ベルヌーイより早い時期に孝案。また、今日「ホーナーの解法」と呼ばれている数字方程式の解法も発見していますが、これはホーナーの発見より約一世紀余りも先の事。さらには正しい円周率を11桁まで算出していたそうです。
という扱いもうなずけると思います。IBMが出版した『世界数学者年表』(1966)の17世紀の欄に、関孝和SEKI KOWA(or Takakazu,1642ー1708)の名前が、17世紀を代表する全世界13名の中の一人として載っている。
(湯浅光朝「日本の数学 西洋の数学」中公新書)
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小説『新選組興亡録』
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「誠」の旗印のもとに参集した男たち、「新選組」。京の治安を託された彼らは、不逞浪士の掃討に力を尽くし、最強の剣客集団として名を揚げる。しかし幕府は大政を奉還、新政府軍の東征開始で立場は逆転した…。
「新選組」の魅力を余すところなく伝える必読のアンソロジー。
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大河ドラマ『義経』第41回「兄弟絶縁」
大好きなお兄ちゃんに会って誤解を解く事がついに叶わず、失望を隠せずに宗盛・清宗親子を連れて京に戻る義経。いっぽう宗盛はここに来てようやく覚悟がついたのか、すべてを悟りきった様子。壇ノ浦の直後に義経に尋問されていた時の、往生際の悪さからは考えられない変わりようです。
義経と二人きりになった時、突然昔話を始める宗盛。優秀な兄や弟にずっとコンプレックスを抱いていた事、源氏の子のくせに清盛パパにかわいがられる牛若が嫌いだった事を淡々と告白。そういえば昔は「自分は実は、法皇様の子なんだ!」という現実逃避もしてましたよね。
宗盛も本当は、以前から誰かにこの感情を話したくてたまらなかったんじゃないかという気がしました。しかし平家の総大将という立場が、弱音を吐くことを許さない。逆に自分を実際以上に見せようと虚勢を張り過ぎ、それが彼の今までのトホホぶりに繋がってたのかも。
すべてのプレッシャーから開放された安堵感と、悔しいけれども父が見込んだ義経になら安心して「新しい国」を任せられるという気持ちが窺えたシーンだったと思います。
「もし許されるならば、出家して一門の菩提を弔いたい」とも希望を語る宗盛ですが、ついに鎌倉から頼朝の使者が「二人を処刑せよ」との命令をもって来ます。反対しつつも、結局命令に従わざるを得ない義経。加えて兄が自分を試している事を知り、愕然とします。
ここで宗盛が「自分はよいが、せめて清宗だけは助命を…」と嘆願し、清宗に「そんなの頼朝殿が許すはずがない。義経殿を困らせてはいけません」と諌められるのがよかったです。あーこんな所がやっぱ宗盛らしいなと、なぜかホッとしちゃいました。しかし清宗いい子だよな〜どうしてあの父ちゃんから、こんなしっかりした子ができたのだろうか(笑)
清々しく落ち着き払って処刑の場につく敗者・宗盛と、実際は勝者なのに引き裂かれそうなほどの苦悩を抱えている義経。そして皮肉にもこの処刑が、頼朝との決別を決心するきっかけになってしまったのでした。
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家康をめぐる男たち(2) ー 小早川秀秋
秀秋は豊臣秀吉の正室・北政所の兄である木下家定の息子として生まれました。幼い頃に、子供のいない秀吉の養子になりましたが、秀頼が誕生すると最早用なしとばかりに、毛利一門の武将・小早川隆景の養子にやられてしまいます。
慶長の役で総大将に任命されて初陣を果たしますが、自ら刀を振るって戦場に出たことを「大将として軽率な振舞い」と秀吉に咎められ、所領を減らされた上に国替えを命じられます。しかし実際の理由は、軍事的重要地である筑前(秀秋の当時の領地)を豊臣直轄領にするのが目的で、振舞い云々は口実のようなものでした。
この時に取りなし役をかって出たのが徳川家康。秀吉がその後まもなく亡くなった事もあり、秀秋は旧領に復帰することができました。これをきっかけに、家康と接近することになっていったようです。
そして慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い。西軍として参戦しながら東軍に内通、戦いが膠着状態に陥っていた時、徳川軍から仕掛けられた鉄砲の音で寝返りを決断して西軍に攻め入り、東軍勝利のきっかけを作ったのはあまりにも有名です。
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家康をめぐる男たち(1) ー 本多忠勝
まず、徳川家康の家臣の中で特に功績のあった「徳川四天王」のひとりである本多忠勝(1548ー1610)、そして関ヶ原の戦いの最中に、西軍から寝返って東軍についた小早川秀秋(1582ー1602)です。
まずは本多忠勝から。この人は、戦国系ゲームの好きな方ならよくご存知ですよね。
本多氏は代々松平氏に仕えていた譜代の家臣で、忠勝も幼少時から家康に出仕し、永禄3年(1560)13歳の時に大高城兵糧入れ(桶狭間の戦いの前に、今川義元の命令で家康が決行した作戦)で初陣を飾っています。その後生涯で57回の合戦に参加しながら、かすり傷一つ負わなかったという並外れた武勇を誇りました。中でも、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」という狂歌が、彼の代名詞のようになっています(忠勝の通称は平八郎。唐の頭とは、当時三河で流行っていた輸入品の兜)。これは元亀3年(1572)家康が武田信玄にボロ負けした三方ヶ原の戦いの際、前哨戦の一言坂の戦いで殿軍を努めた忠勝に対し、その見事さに武田方からの賞賛の言葉として落首されたものです。
その他、織田信長に「日本の張飛」「花実兼備の勇士」、豊臣秀吉には「東国に本多平八あり、西国に立花宗茂あり、天下一双の勇士なり」と讃えられ、姉川の合戦では家康本陣に迫る朝倉軍1万に対して単騎駆けを敢行したり、小牧長久手の戦いではわずか数百の兵で3万8千人の秀吉軍を牽制した等々、ちょっとカッコよすぎるんじゃないのか?と言いたくなる剛勇エピソードが満載です。
そんな忠勝は「蜻蛉切」と呼ばれた槍を愛用していました。全長4m(一説には6m)を越すという長槍で、村正一門の藤原正真作と伝えられているものです。名前の由来は、穂先に止まったトンボがあまりの鋭い切れ味で真っ二つになってしまった逸話からきています。晩年になり体力が衰えて来ると「槍は自分の力に合うものが一番」と言い、槍の柄を短く詰めてしまったそうです。
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大河ドラマ総集編『花神』
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第一回「革命幻想」
第二回「攘夷の嵐」
第三回「崩れゆく長州」
第四回「徳川を討て」
最終回「維新回天」
出演:中村梅之助(村田蔵六)浅丘ルリ子(イネ)中村雅俊(高杉晋作)篠田三郎(吉田寅次郎)米倉斉加年(桂小五郎)田村高廣(周布政之助)田中健(天堂晋助)西田敏行(山県狂介)加賀まりこ(お琴)秋吉久美子(おうの)大竹しのぶ(お里)金田龍之介(毛利敬親)志垣太郎(久坂義助)尾藤イサオ(伊藤俊輔)東野英心(井上聞多)夏八木勲(坂本龍馬)大滝秀治(二宮敬作)宇野重吉(緒方洪庵)高橋英樹(河井継之助)
幕末から維新の激動期における変革者たちの系譜を描くドラマ。原作は司馬遼太郎の同名作品の他『世に棲む日日』『峠』『十一番目の志士』を使用。一介の村医者から討幕軍の総指揮官になった大村益次郎(村田蔵六)をはじめ、長州藩の革命思想の源泉である吉田松陰、その遺志を継ぐ高杉晋作、さらに越後長岡藩の家老・河井継之助と、英傑たちが熱っぽく絡み合う骨太の人間群像が描き出されている。
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幕末・明治 古写真コレクション
勝海舟や福沢諭吉などの写真は、初めて見る感じのものでとても興味深いです。大隈重信も、よく本に載っているのは年をとってからの写真が多いけど、これは結構若い頃のもので珍しいですね。
「ーロンドンの古書展の片隅にひっそりと息づいていた古いアルバム。
開いてみると当時の著名人達の写真等が隙間なく貼られていました。ー」
という前置きが書かれてますが、そのアルバムっていったいどこの誰が所持してたの〜?すごく気になります。
どうでもいい事だけど、西園寺公望の不自然?な髪型が気になって仕方がありません。まさかカ○ラじゃないよね??(西園寺さんすみません…)
ドラマ『大奥〜華の乱〜』第1回「修羅場」
それにしても谷原さん…こんなエロエロ将軍役だったなんてぇ〜。
エロいだけならともかく、人の家庭を不幸に陥れて、罪の意識が全く無いのが腹立ちますね。阿久里の自害〜成住の切腹を安子が止めるシーンでは涙ぐんでしまいました(入り込み過ぎ?)
公式HPのあらすじには「また、儒学を学んだ綱吉は論語の言うところの"孝"を実践していた。故に母・桂昌院には何より尽くしており、むしろその言いなりだったと言っても過言ではない。」とありますが、おかんには尽くしても夜伽の相手の女は道具同然ってことか!?
前作の『第一章』で、生母・お万の方から綱吉を預かった設定になってたお玉ちゃん(桂昌院)ですが、どーいう教育してたんでしょうか(-_-;)
『大奥』だけ見ていたら、家定・家光・綱吉と、江戸幕府にはロクな将軍いなかったのかよって思っちゃうかもしれませんね(笑)
しかし前2作のパターンでいくと、綱吉も実は権力者故のいい知れぬ孤独を抱えてるのがだんだん明らかになり、安子がそこに同情していく…のかな?このまま最低スケベ男で終わらない事を祈りたいものですが。
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