TV『その時歴史が動いた〜保元・平治の乱』
今からおよそ850年前の平安末期、京都でふたつの大きな戦乱が繰り広げられた。「保元・平治の乱」である。この戦いは「武士」の地位を大きく押し上げ、こののち600年余り続く武家政権の原点となった。この嵐の中心にいたのが、武士の名門「源氏」の当主源 義朝(みなもとのよしとも)である。
貴族の世の京都。武士は、貴族に都合よく使われる使用人のような立場だった。関東の実力主義のなかで育った義朝は、「保元の乱」でいちばんの戦功をあげ、自軍の勝利に貢献する。しかし武士の立場を低く見る貴族の態度は変わらない。義朝は武士の境遇を変えようと「平治の乱」を起こし有力貴族を倒すことに成功するが、そこには思わぬ落とし穴があった−。
己の境遇と闘い、武士を歴史の表舞台に押し上げるため邁進した源義朝の戦いに迫る。
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TV『その時歴史が動いた〜平安京誕生』
千年の都・京都の原点「平安京」。その誕生の裏には、時の桓武天皇をめぐる血ぬられた争いと苦悩が秘められていた。奈良時代の末、平城京での激しい権力闘争の中で桓武天皇は「遷都」によって政治体制の一新をもくろむ。しかし極秘裏に進めた最初の遷都は大きな反発を呼んだ。窮地に陥った桓武天皇はさらなる遷都で理想の都作りをめざす。「平らかで安らかな都=平安京」と名づけた桓武天皇の思い、そして京都誕生の時を描く。
番組では、桓武天皇が最初に都を移した京都の西隣の「長岡京」にも注目。近年の発掘調査によって、これまで平安京遷都までの仮の都と考えられていた長岡京の実像が明らかになってきている。長岡京は水運や衛生の利便を計算に入れ、それまでの奈良平城京の弱点を克服しようと計画的に造営された本格的都市だった。桓武天皇の幻の都・長岡京の実像もCGなどをまじえて紹介する。
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TV『その時歴史が動いた〜応仁の乱』
日本史で最も有名な戦いの一つである「応仁の乱」。しかし、その経緯、誰が戦ったのかなど詳細はあまり知られていない。今回はこの戦乱の実相を明らかにする。
この戦いは今から500年あまり前、室町幕府第8代将軍足利義政の治世で起こった。天下を二分し京都を焼き尽くす大乱となり、この結果、戦国時代が始まったといわれる。この合戦が異様だったのは11年間も続いたことであった。当初は一大名家内部の争いに過ぎなかったものが、これほどの大乱になるとは当時誰も予想できなかった。なぜ事態は大乱へ発展したのか、なぜ早期に終わらせることができなかったのか。
番組では、リーダーシップを発揮できない将軍・足利義政の動向を中心に「乱」をひもときながら、誰も望まない戦争を誰も止められぬまま、一つの時代と社会が崩壊していく様相を描く。
この番組で室町時代を取り上げるのは珍しいので、久々に見てみました。
いつも「題材が戦国時代に偏り過ぎ!」と文句を書いてましたがw、最近少しは幅が出てきたような気がしないでもないような…?特に「戦国のゲルニカ」の回は話題を呼んだようなので、見ればよかったと後悔しています。再放送しないかな〜。
それはさておき、今回の応仁の乱の特集。戦い勃発のきっかけの一つとして、畠山氏の争いにクローズアップしたのはなかなか面白い着眼点だと感じました。内容的には特に目新しいものではなかったんですが、一般的には将軍家の跡継争いに細川・山名が絡んで起こった印象しかない方が多いのではと思うんですよ。なので、ほんとはもっと複雑な原因があったんですよーて事を、少しでも認識してもらえたならよかったんじゃないかと思います。
もっと細かいこと言うと、別の有力大名である斯波氏の家督争いやら、それに首を突っ込んでややこしくした幕府執事・伊勢貞親というオッサンやら、要因はまだいろいろあるんですけどね。
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TV『その時歴史が動いた〜戦国北条氏』
戦国時代に五代・百年にわたって関東を支配した北条一族。その終焉は、豊臣秀吉と闘った小田原攻めだった。この合戦は、秀吉に天下統一をもたらす戦いであると同時に、各地方独自の特色ある領国経営「地方分権」を守ろうとする北条氏と、全国一律の規格化された政治形態「中央集権」を目指す秀吉との闘いでもあった。
北条氏が固守した地方分権の政治とは、どのようなものだったのか。その鍵は、初代早雲が定めた家訓「早雲寺殿廿一箇条」にある。『上下万民に対し、一言半句にても虚言を申すべからず。』すべての領民に対して誠実であることが重要だと説いた早雲の教えは、二代目以降の北条家当主たちに忠実に守り続けられ、年貢の軽減や目安箱の設置、裁判制度の整備など、民を第一に考えた独自の領国経営が進められていった。そうした北条氏の政策を領民も支持。主従一体となった理想の政治が実現し、それが北条氏の誇りでもあった。
番組では、徳川家康、伊達政宗との三国同盟を軸に秀吉との闘いに挑んだ、北条一族の独立国家構想と、その揺るぎない信念に迫る。
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TV『その時歴史が動いた〜継体天皇』
1500年前の倭国。ヤマト政権は、皇位継承をめぐる豪族たちの争いで混迷を深めていた。そうした中、越前の地にいた王族が天皇位につく。第26代・継体天皇である。
越前から近江にかけてを地盤とした継体天皇は、朝鮮半島との交易や鉄生産など、強固な経済的基盤を背景にしてヤマトの豪族たちに迎えられた。継体天皇はそれまでの天皇とは異なり、ヤマトの中枢には入らずに淀川沿いに王宮を構えて港づくりを展開する。それは、朝鮮半島との外交ルートを強化し、国家統一のために必要な大陸の先進の知識を導入するためだった。
しかし、継体天皇が国家統一にむけて動き出したまさにその時、目の前に大きな敵が立ちふさがった。筑紫君磐井(つくしのきみいわい)率いる九州の豪族たちが、独立のために反旗を翻したのだ。ヤマト政権をゆるがすこの危機に、継体天皇は豪族たちの力を結集して立ち向かった。
25年の治世で、ヤマト政権による国家統一の礎を築き上げた継体天皇。即位から1500年を迎えたいま、最新の考古学調査と史料分析から、謎多きその実像に迫る。
私はこの時代については全く詳しくないんですけど、継体天皇のいささか謎めいた経歴にはなんとなく興味があるので見てみました。
概ね『日本書紀』の記述に添った内容だったようですね。古代史に詳しい方が見れば物足らない部分があったかもしれませんが、まだ評価の定まっていない新説を無理やり大げさに紹介するよりは、こういうオーソドックスな構成の方が余程良いと思いました。
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- 古墳時代
TV『その時歴史が動いた〜今川義元 真説・桶狭間の戦い』
織田信長がその名を天下にとどかせた桶狭間(おけはざま)の戦い。今川義元の大軍を信長が奇襲し、奇跡的な勝利をとげた合戦として知られている。
しかし近年の研究で、これまでの義元像そして桶狭間の戦いそのものの実態に、従来の通説と異なる様々な事実が明らかになっている。
貴族化した武将とされてきた今川義元は、実際は、家臣・農民の組織化をはかり一大軍事集団を作り上げた革新的武将だった。
一方、東海地方の覇権をめぐって対立していた織田氏は、義元に敗退を重ねていた。父・信秀の死後、義元との戦いを引き継いだのが信長。この時わずか19歳。
“天才的な武将”とされる信長だが、実はその手本を敵将・義元に求め、その強さの源である「組織力」を徹底的に学んでいた。その中から信長はさらなる創意を重ね、のちに“ノブナガイズム”ともいわれる独自の軍事力を作り上げていった。
頭角をあらわす信長に危機感を抱く義元は、ついに信長軍殲滅(せんめつ)を決行。義元と信長。二人の革新者の戦略が桶狭間で激突する。
番組では、戦国の改革者・今川義元、そして義元としのぎを削ることで成長を遂げた若き織田信長、この両雄の対決を描く。
番組の冒頭で松平アナが「今日は今川義元の名誉回復をしたいです」という旨のことを述べていましたが、義元の事蹟については半分くらい、残りの半分で桶狭間の合戦の"真実"を紹介しており、なんとなくどっち付かずな構成に思えました。
本気で「義元の再評価につなげたい」という意図があったのなら、普通に彼の生涯を追って行く内容で充分だったんじゃなかろうか。せっかく大河ドラマで扱っているのに太原雪斎のことはスルーだし、松平元康(もちろん後の徳川家康ね)のことも全然触れなかったし…。
今川家研究で有名な小和田哲男氏が出演してたから期待したのに、ちょっとガッカリしました。
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TV『その時歴史が動いた〜富士川の戦い』
源平合戦の初戦である富士川の戦い。「水鳥の羽音に驚いて逃げ出した」と、京で貴族化した平氏のひ弱さが強調される。しかし平氏軍を恐怖のどん底に突き落としたのは、想像を絶する頼朝の軍勢の数だった。
なにしろ源頼朝は、わずか2ヶ月前に伊豆で決起し惨敗。再起不能の危機に陥っていたのだ。なぜ、死に体の頼朝は短期間に軍勢を結集し、富士川に布陣することができたのか?
頼朝は関東武士が抱えていた平家の施策に対する不満を見抜き、自らが新たなる統治者として土地所有などの権利関係をリセットすると宣言。それは多くの武士にとって「希望」そのものだった。とはいえ頼朝に与し、中央政府と対決するのはオール・オア・ナッシングの際どい選択。迷う関東武士を味方に出来たのは、彼らの心理を巧みについた頼朝の見事なパフォーマンスだった。わずか2ヶ月の大逆転劇。その真相を描く。
治承・寿永の乱から富士川の戦いをクローズアップするとは、渋い(?)チョイスですなあ!
てなわけで、予告を見た時から放送を楽しみにしていました。でも「魔法の大逆転」というサブタイトルはちと大げさですよね(^^;
平治の乱で敗れ伊豆に流されてから旗揚げするまでの、頼朝の前半生を最初に手短に紹介し、その後石橋山の合戦〜富士川に至る軌跡を追った構成でした。
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TV『その時歴史が動いた〜謙信恐るべし』
越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。
彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏と「反織田同盟」を形成、その盟主となる。そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
先週の「もう一度聞きたいあの人の言葉」て企画、わたし的にはどうでもいい内容なのでスルーしてたんだけど、公式サイトに載ってたVTRゲストの顔ぶれ(千代大海・織田信成・オセロ松嶋)がなんかおもしろくて、見ればよかったと後悔しています(笑)。こういう時に限って再放送ないんだよね…(×_×;)
さて、今年で8年目に突入するというこの番組ですが、その節目となる回に謙信公を取り上げてくれるとは嬉しいことです。はい、嬉しいんですが・・・。
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TV『バチカンに眠る織田信長の夢』
ていうかさー、前置きが長ったらしい割に後半はかなり強引な展開だし、屏風絵や信長の遺体のことや本能寺の黒幕やらイエズス会がどうとか、いろいろ詰め込み過ぎて超中途半端な番組構成。結果的に、説得力がまるでなかった気が。
こんなんがWindows Vistaのプロモ番組でいいんですか、マイクロソフト社さん?
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TV『その時歴史が動いた〜ひらがな革命・古今和歌集』
私たちが学校で最初に学ぶ文字「ひらがな」。しかし、「ひらがな」が公式に使われるようになったのは漢字よりずっと後のことだった。そして、その背景にはある政治的意図があった。
平安時代中期、日本では中国に学んだ律令制度が崩壊の危機を迎え、抜本的な政治改革が求められた。この時、朝廷で政治を担ったのが、中国文化の教養で出世の階段を登った菅原道真と、エリート貴族で和歌の名手だった藤原時平の二人のライバル。
道真は衰退しつつあった唐に解決策を求めることをあきらめ、遣唐使を廃止。律令制度から脱皮した政治体制を作ろうと改革に乗り出す。しかし貴族たちの反発にあい志半ばで失脚。後を継いだ時平は、改革を進めるには律令制度導入以来、中国の思想や制度を絶対視してきた官僚達の意識変革が重要と考える。そして、新時代を告げるシンボルとして、和歌に使われ漢字より低く見られていた日本独自の文字「ひらがな」に注目、「ひらがな」で書かれた勅撰和歌集の編纂を命じる。
この完成を契機に改革は軌道にのり、『源氏物語』などの「ひらがな文学」が誕生、「国風文化」が花開く。
「ひらがな」が正式な日本語として認められるまでの知られざるドラマを描く。
久しぶりの平安もの!なので、放送予定を知った時から楽しみにしておりました。
この番組、今に始まったことじゃないけど、最近特に取り上げる時代が戦国と近代に偏り過ぎな気がするんだよねぇ。同じ時代や人物を何度も扱うより、たまには平安〜室町あたりもクローズアップして欲しいな。戦国時代でも、前半は全然やらないし…(-"-;)
不満はとりあえず置いといて、今日の放送はなかなかよかったと思います。
特に、藤原時平については「イメージが変わった!」という人が多かったんじゃないでしょうか。私も以前は、嫉妬心と私利私欲から菅原道真を左遷に追いやった、しょうもない奴(笑)だと思い込んでました。しかし実際は優れた政治手腕を持ち、道真の件も周りの貴族たちや天皇・上皇を巻き込んだ複雑な思惑が絡んでいた…という事を知り、単なる安っぽい悪人ではないのだなと認識するようになりました。
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