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<title>Cafe Japanesque</title>
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<description>日本史に関することを気ままに綴っているブログです。</description>
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<title>更新終了のお知らせ</title>
<description> ご無沙汰しております。突然の告知で申し訳ありませんが、本日をもって当ブログの更新を終了することにしました。理由は、新しい歴史コンテンツを始めたくなったからです。約４年間やって来て、更新すればいつも見に来て下さる常連の方もおり、自分自身も愛着があるので、最初はこのブログを全面的にリニューアルすることも考えました。しかしこことは取り上げる時代・内容がかなり異なるものになるため（戦国・幕末はほとんど扱わ
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<![CDATA[ ご無沙汰しております。<br />突然の告知で申し訳ありませんが、本日をもって当ブログの更新を終了することにしました。<br />理由は、新しい歴史コンテンツを始めたくなったからです。<br />約４年間やって来て、更新すればいつも見に来て下さる常連の方もおり、自分自身も愛着があるので、最初はこのブログを全面的にリニューアルすることも考えました。しかしこことは取り上げる時代・内容がかなり異なるものになるため（戦国・幕末はほとんど扱わない予定です）、やはり別個に立ち上げることにしました。<br />両方を運営していけばいいのでしょうが、自分はそんなに器用じゃないので…。<br />また最近、こちらの新規記事更新に煮詰まっていたこともあり、一旦終了しようと決心した次第です。<br />自分勝手な理由なのは重々承知ですが、どうぞご理解賜りますようお願い申し上げます。<br /><br />ここのブログの過去ログは今後も残しておきます。<br />ただ管理の方がままならないため、新規コメント・トラックバックの受付は、本日をもって停止させていただきます。<br />管理人とコンタクトをとりたい場合は<a href="http://form1.fc2.com/form/?id=64093" target="_blank">メールフォーム</a>からご連絡下さい。<br /><br />当ブログをリンクして頂いてるサイト・ブログの管理人様は、「もう更新しないブログは不用だ」と思われるようでしたら、遠慮なくリンクを解除して下さっても結構です。<br />また、普段よりお世話になってる方々のところへは、後日当方より挨拶にお伺いします。<br />（ここには書きにくいこともありますので…）<br /><br />拙い内容のブログにも関わらず、訪問して頂いた皆様には心より多大な感謝をしております。<br />もしご縁がありましたら、またどこかでお会いできれば幸いです。今までどうもありがとうございました。<br /><br /><br />平成21年７月６日付　　影千代<br /> ]]>
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<dc:subject>ブログ管理関連</dc:subject>
<dc:date>2009-07-06T21:38:27+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>上杉謙信の養子たち(２)～その他の人々</title>
<description> ＜前回の記事(１)はこちらへ＞◆謎多き人物・上条政繁（生没年不詳）正確な生年は不詳ですが、景勝・景虎よりはやや（10歳くらい？）年長だったようです。政繁は能登守護の畠山氏出身の人物で、人質として越後に来て謙信の養子となり、上杉氏の一門である上条(じょうじょう)家を継いで、謙信の姪（景勝の姉妹／景虎に嫁いだ女性とは別人）を娶りました(*1)。後に出家して宜順と号しています。・・・というのが彼の経歴の定説ですが
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<![CDATA[ ＜前回の記事(１)は<a href="http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-457.html">こちら</a>へ＞<br /><br /><strong>◆謎多き人物・上条政繁</strong>（生没年不詳）<br />正確な生年は不詳ですが、景勝・景虎よりはやや（10歳くらい？）年長だったようです。<br />政繁は能登守護の畠山氏出身の人物で、人質として越後に来て謙信の養子となり、上杉氏の一門である上条(じょうじょう)家を継いで、謙信の姪（景勝の姉妹／景虎に嫁いだ女性とは別人）を娶りました(*1)。後に出家して宜順と号しています。<br />・・・というのが彼の経歴の定説ですが、越後に来た経緯や謙信の養子になった時期については諸説あり、中には政繁の謙信養子説を疑問視する見方もあるようです。また彼は、近年まで後述の畠山義春と同一人物とされていた（政繁が改名し義春と名乗ったと思われていた）ため、政繁自身の事蹟がわかりにくくなっている部分もあるのです。<br /><br />天正３年(1575)の上杉家臣団の構成を記した「御軍役帳」では、景勝・山浦国清（後述）・上杉景信（古志長尾家当主）に継いで、政繁は第四位に名を連ねており（景虎は記載無し）、一門中で重く見られていた事がわかります。<br />天正６年に起こった御館の乱では、景勝方に味方し武功を挙げました。乱後も景勝の重臣として仕えましたが、天正14年(1586)７月に突如、妻子を置いて単身出奔してしまいました。理由については、信濃国の統治を巡って景勝と対立したとも、景勝側近として台頭してきた直江兼続との間に軋轢が生じた結果とも言われています。<br /><br />その後政繁は上方に出て秀吉に仕えたと伝えられていますが、これ以降の記録は前述の通り畠山義春と混同されている可能性が高いため、政繁がいつまで活動・存命していたかははっきりわかっていません。 ]]>
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<dc:subject>よもやま話</dc:subject>
<dc:date>2009-05-12T00:04:31+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>伝説の軍師の実像</title>
<description> 山梨日日新聞「「山本菅助」への信玄書状を発見」　戦国時代の武将武田信玄（晴信）に仕えた「軍師・山本勘助」が実在したか注目される中、信玄が家臣山本菅助にあてた書状が、群馬県安中市の民家で見つかった。山梨県立博物館の調査によると、信玄が菅助に褒美を与えたり、家臣の見舞いを命じた内容の２通で、信玄の花押（署名）が入り、「山本菅助」と記されていた。これまで菅助の存在を示す史料は１９６９年に北海道で見つかっ
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<![CDATA[ <blockquote><p><a href="http://www.sannichi.co.jp/local/news/2009/05/01/2.html" target="_blank">山梨日日新聞「「山本菅助」への信玄書状を発見」</a><br />　戦国時代の武将武田信玄（晴信）に仕えた「軍師・山本勘助」が実在したか注目される中、信玄が家臣山本菅助にあてた書状が、群馬県安中市の民家で見つかった。山梨県立博物館の調査によると、信玄が菅助に褒美を与えたり、家臣の見舞いを命じた内容の２通で、信玄の花押（署名）が入り、「山本菅助」と記されていた。これまで菅助の存在を示す史料は１９６９年に北海道で見つかった、信玄が奥信濃の市河氏にあてた書状「市河文書」だけだった。県立博物館は「『山本菅助』という名の人物がいたことは間違いなく、菅助の人物像や功績などを研究する上で貴重な史料」としている。<br /><br />　名前の字が異なる「山本勘助」は、江戸時代の軍事書「甲陽軍鑑」などに有能な軍師として登場するが、実在を裏付ける学術的な史料はなく、一家臣としての菅助の存在を示す唯一の史料が市河文書だった。今回見つかった文書には市河文書と同じ「菅助」の名が記され、紙の材質や文書の書式などからも信玄が活躍した１６世紀後半のものでほぼ間違いないという。<br /><br />　新たに見つかった文書を所蔵していたのは、安中市原市在住の真下（ましも）正貴さん。昨年５月、蔵の整理中に「信玄公御證文」と書かれた漆塗りの木箱を発見。中には５通の文書が年代順に張られた巻物１本が入っていた。<br />　このうち信玄が菅助にあてた書状は２通。業績を褒め恩賞を与える内容と、重篤な状態にある家臣「小山田（出羽守信有）」の見舞いを命じる内容で、１通は「菅介」の字が使われていた。<br />　武田家が菅助あてに出した朱印状１通では、菅助に足りない武具の支度を指示するなど、信玄が家臣として信頼していた様子がうかがえる。<br />　残る２通は、武田家が菅助の後継者といわれる「山本十左衛門尉」に軍役を命じた朱印状と、徳川家康の次男「結城秀康」が菅助の子孫と思われる「山本平一」にあてた見舞いの礼状だった。この２通からは菅助の子孫の存在も明確になった。<br /><br />　調査を担当した県立博物館学芸員の海老沼真治さんは「菅助は上野国（現群馬県）から東信濃の動静に精通しており、高崎藩士の中に山本菅助の子孫を名乗る人物がいたことなどから、菅助と群馬は深く関係していたと考えられる。多くの研究者の意見を聞きながら、１通ごとに史実と照らし合わせてより詳しく研究したい」と話している。（後略）</p></blockquote> ]]>
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<dc:subject>日本史News</dc:subject>
<dc:date>2009-05-03T23:26:59+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『竜馬がゆく』『花神』</title>
<description> NHK想い出倶楽部II~黎明期の大河ドラマ編~(4)竜馬がゆく [DVD]司馬遼太郎 NHKソフトウェア  2003-11-19売り上げランキング : 33640Amazonで詳しく見る by G-Tools＜あらすじ＞第16話：吉村寅太郎（轟謙二）から、「薩摩の島津公が上洛し倒幕に乗り出すらしい」との情報を聞いた坂本竜馬（北大路欣也）は、あくまで土佐藩挙げての勤王にこだわる武市半平太（高橋英樹）に見切りをつけ、脱藩して天下の為に行動する事を決意する。姉
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<![CDATA[ <table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000DJWI5/ramblingrose-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21K0DEJN5BL._SL160_.jpg" border="0" alt="NHK想い出倶楽部II~黎明期の大河ドラマ編~(4)竜馬がゆく [DVD]" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8II%7E%E9%BB%8E%E6%98%8E%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%7E-4-%E7%AB%9C%E9%A6%AC%E3%81%8C%E3%82%86%E3%81%8F-DVD-%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E6%AC%A3%E4%B9%9F/dp/B0000DJWI5%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB0000DJWI5" target="_blank">NHK想い出倶楽部II~黎明期の大河ドラマ編~(4)竜馬がゆく [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ramblingrose-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" style="border: none;" alt="" /><br />司馬遼太郎 <br /><br />NHKソフトウェア  2003-11-19<br />売り上げランキング : 33640<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8II%7E%E9%BB%8E%E6%98%8E%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%7E-4-%E7%AB%9C%E9%A6%AC%E3%81%8C%E3%82%86%E3%81%8F-DVD-%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E6%AC%A3%E4%B9%9F/dp/B0000DJWI5%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB0000DJWI5" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font> <font size="-2">by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br />＜あらすじ＞<br />第16話：<br />吉村寅太郎（轟謙二）から、「薩摩の島津公が上洛し倒幕に乗り出すらしい」との情報を聞いた坂本竜馬（北大路欣也）は、あくまで土佐藩挙げての勤王にこだわる武市半平太（高橋英樹）に見切りをつけ、脱藩して天下の為に行動する事を決意する。姉の乙女（水谷良重）、栄（八木昌子）の理解と後押しを得た竜馬は、沢村惣之丞（北村総一郎）と共に嶮しい四国山脈を越え、新たな道へ踏み出したのだった。<br /><br /><br /><table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009PN42/ramblingrose-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61m2OWO1Q5L._SL160_.jpg" border="0" alt="NHK大河ドラマ総集編 花神 [DVD]" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8-%E8%8A%B1%E7%A5%9E-DVD-%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%A2%85%E4%B9%8B%E5%8A%A9/dp/B00009PN42%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00009PN42" target="_blank">NHK大河ドラマ総集編 花神 [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ramblingrose-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" style="border: none;" alt="" /><br />司馬遼太郎 <br /><br />アミューズ・ビデオ  2003-07-25<br />売り上げランキング : 23117<br />おすすめ平均  <img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-5-0.gif" /><br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8-%E8%8A%B1%E7%A5%9E-DVD-%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%A2%85%E4%B9%8B%E5%8A%A9/dp/B00009PN42%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00009PN42" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font> <font size="-2">by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br />＜あらすじ＞<br />第19話「上海みやげ」<br />藩命により上海へ渡航した高杉晋作（中村雅俊）は、清国が欧米列強の植民地と化している実態を目の当たりにする。外国と対等に渡り合える日本を作ろうと、改めて幕藩体制の打倒を誓いつつ高杉は帰国。折しも長州藩内では桂小五郎（米倉斉加年）の説得により、藩論は攘夷の方針へと転換していた。<br />一方、村田蔵六（中村梅之助）は横浜で井上聞多（東野英心）と出会う。井上が訪れた遊郭の一室には高杉や久坂玄瑞（志垣太郎）らが集合し、ある大胆な計画を企んでいた。 ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-04-16T22:26:58+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>上杉謙信の養子たち(１)～北条から来た男</title>
<description> ◆越後にやって来るまで上杉景虎は、相模の虎と呼ばれた名将・北条氏康の七男（一説に八男）。正確な生年は判明してませんが、一般的な書籍等では天文23年(1554)生という記載がよく見られます。もしこの説が正しければ、後にライバルとなる上杉景勝より一つ年上ということになります。彼の幼少期については、「箱根早雲寺で喝食を勤め、その後北条氏が三国同盟を結んでいた武田信玄の養子となり三郎と称するも、同盟の破綻によって
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<![CDATA[ <strong>◆越後にやって来るまで</strong><br />上杉景虎は、相模の虎と呼ばれた名将・北条氏康の七男（一説に八男）。正確な生年は判明してませんが、一般的な書籍等では天文23年(1554)生という記載がよく見られます。もしこの説が正しければ、後にライバルとなる上杉景勝より一つ年上ということになります。<br />彼の幼少期については、「箱根早雲寺で喝食を勤め、その後北条氏が三国同盟を結んでいた武田信玄の養子となり三郎と称するも、同盟の破綻によって北条に戻った」ーーという話が従来は有名でした。<br />しかし当の武田側の同時代史料に、三郎が信玄の養子となった話が全く記されていないという事実が、長塚孝氏や黒田基樹氏の研究で明らかにされました。そのため最近ではこの説に否定的な見解も多く、少年時代のことははっきりわかっていません。<br /><br />確実と思われる記録上に三郎が登場するのは、永禄12年(1569)末に一族の北条幻庵の養子となった時のことです。幻庵は氏康の叔父にあたり、北条氏の長老的存在でした。二人の息子が武田との合戦で討死してしまったので、三郎を婿養子に迎え入れて後継者と定めたのです。<br />ところがそれから半年も経たない翌年の４月、三郎の姿は相模から遠く離れた越後春日山城にありました。<br /><br />武田との同盟を破棄した氏康は、越後の上杉謙信と結んで信玄に対抗する手段を取りました。そして同盟の証に、実子のいない謙信の養子として北条方から三郎が送り込まれることに決定したのです。<br />当初は、三郎の長兄である氏政の次男・国増丸（後の太田源五郎）が候補に挙っていましたが、「幼子を手放すのは忍びない」との氏政の懇願により、三郎に変更されたと言われています。近年の櫻井真理子氏の研究では、もし北条が武田から攻め込まれた時に、幼い国増丸よりもある程度の年齢に達している者の方が謙信への援軍依頼が取り次げるとして、三郎に白羽の矢が立ったのではという見方もあります。 ]]>
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<dc:subject>よもやま話</dc:subject>
<dc:date>2009-04-11T23:25:26+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>飛鳥時代の天文学</title>
<description> ひと月近く前のニュースなので、既にリンク先の記事は消去されてしまっていますが、一応全文引用しておきます。asahi.com「日本の天文観測、推古朝から　国立天文台が日本書紀分析」　日本での継続的な天文観測は推古朝（飛鳥時代前半）の７世紀初頭に始まっていたとする研究結果を、国立天文台のチームが日本書紀の分析からまとめた。日食などの観測が必要となる暦づくりは皇帝の独占事業で、中国は影響下にあった周辺国に禁止し
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<![CDATA[ ひと月近く前のニュースなので、既にリンク先の記事は消去されてしまっていますが、一応全文引用しておきます。<br /><blockquote><p><a href="http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200903060076.html" target="_blank">asahi.com「日本の天文観測、推古朝から　国立天文台が日本書紀分析」</a><br />　日本での継続的な天文観測は推古朝（飛鳥時代前半）の７世紀初頭に始まっていたとする研究結果を、国立天文台のチームが日本書紀の分析からまとめた。日食などの観測が必要となる暦づくりは皇帝の独占事業で、中国は影響下にあった周辺国に禁止していた。日本に律令制が芽生えたのは680年ごろとされるが、その半世紀以上前から、独自の暦づくりへ、布石を打とうとしていた可能性があるという。<br /><br />　天文台の谷川清隆特別客員研究員らは日本書紀に記録がある日食、月食、彗星（すいせい）、月が星を隠す現象などについて中国の記録と比較した。<br />　その結果、620年にオーロラが記録されたのが最初でそれ以前には天文記録がないこと、620年以降には、日本でしか観測できない現象が２件、中国でも観測可能だが中国には記録のないものが１件あった。また、同年以降、中国と日本の両方で観測された彗星が５個あるが、記述の作法が違い、中国の記録の引き写しではなく、日本独自の観測の可能性が高いという。<br />　昼間に突然暗くなる皆既日食は誰でも気づくが、部分日食やオーロラなどは、観測の知識と技術がある専門家が空をずっと監視していないと記録できない。そのため、620年ごろから継続的な天文観測が始まったと結論づけた。<br /><br />　古代、中国と主従関係を結んだ周辺国は、貢ぎ物を贈り（朝貢）、中国の暦を使う義務があった。５世紀の日本が倭（わ）国王として朝貢していた記録が中国にある。だが、607年に派遣された遣隋使は「日出づる処の天子」で始まる対等な国家とも取れる国書を持参したとされる。<br />　谷川さんは「国書を独立宣言と解釈すれば、暦づくりのために独自の天文観測が必要になったのではないか」と話している。<br />　律令体制下では、天文や占いをつかさどる役所「陰陽寮」が置かれ、専門職の天文博士、暦博士が天文観測と暦づくりを担当するようになった。（鍛治信太郎）</p></blockquote><br />７世紀初頭から既に本格的な天体観測が実施されていたのもさることながら、日本でオーロラが観測可能という事に驚かされました。北海道ならまだわかりますが、畿内で見られるなんてちょっと想像がつきません。<br />ところが記録を紐解いてみると、実は何度かオーロラの出現が記されているようです。18世紀後半には長崎で目撃された記録が残っており、さらに昭和33年(1958)には関東や中部など広範囲で発生したことがあったそうですから、こちらは覚えている人がいるかもしれませんね。<br />ただ日本で観測可能なのは、暗赤色の「低緯度オーロラ」というもので、アラスカなどで見られるカーテン状に広がり緑色に光るオーロラとは異なるそうです。<br /><br />天文学というと暦の作成に必須な訳ですが、推古朝より約半世紀後の斉明６年(660)には中大兄皇子により日本初の漏刻（水時計）が、天武４年(675)には占星台と呼ばれた日本最古の天文台が造られています。国内独自の天文観測を続けてきた成果なのかもしれませんね。そして占星台造営の翌年には、占筮・占星・漏刻を管轄する公的機関として陰陽寮が設立されました。<br />にも関わらず、正式な暦は中国から輸入したものが長きに渡って使い続けられていたのです。日本人の手により編纂された暦が用いられるのは実に一千年の後、貞享元年(1684)渋川春海が作成した「貞享暦」が採用されるのを待たなくてはならなかったのでした。<br /><br />＊参考サイト＝・<a href="http://www.astroarts.co.jp/news/2003/10/30nao680/index-j.shtml" target="_blank">日本でも赤いオーロラが見られた！（NAOニュース）</a><br />　　　　　　　・<a href="http://www.geoweb.jp/auro2.html" target="_blank">ジオ・クリエイション　日本から見られるオーロラ</a><br /><br />＊関連記事＝<a href="http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-351.html">かに星雲と藤原定家</a> ]]>
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<dc:subject>日本史News</dc:subject>
<dc:date>2009-04-03T00:09:57+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『天地人』第９回「謙信の死」</title>
<description> 一応どうにかまだ見続けてますよ、天地人。回を重ねる毎に失望が大きくなるばかりですが…。オープニングで「一度も戦に負けたことのない、まさに軍神」とか何とか謙信を称讃してましたけど、天地人での謙信は初回で丸太をぶった切った勇姿？以降は、その並外れた強さとやらをついぞ見せてはくれませんでしたね。はっきり言って、ハリボテ丸出しの洞窟毘沙門堂に籠って琵琶弾いていた印象しかありません(笑)。それと謙信さまは何か
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<![CDATA[ 一応どうにかまだ見続けてますよ、天地人。回を重ねる毎に失望が大きくなるばかりですが…。<br />オープニングで「一度も戦に負けたことのない、まさに軍神」とか何とか謙信を称讃してましたけど、天地人での謙信は初回で丸太をぶった切った勇姿？以降は、その並外れた強さとやらをついぞ見せてはくれませんでしたね。はっきり言って、ハリボテ丸出しの洞窟毘沙門堂に籠って琵琶弾いていた印象しかありません(笑)。<br />それと謙信さまは何かといえば「義・義・義」を連呼していましたが、その割に義とは何ぞやというのが具体的に語られなかった気がします。「人が人であることの美しさ」とか言われても、抽象的すぎてちっとも心に響いてきませんでした。<br /><br />そんな、さっぱり魅力が伝わりきらないままだった謙信が、今回でとうとうお亡くなりになりました。ご臨終シーン、阿部ちゃんは熱演していたと思いますが、最後まで「ぎ・・ぎ・・・」と呻いて昇天していったのは何だかなあ(泣)。<br />しかしもっと頂けなかったのは、直江景綱未亡人・妙椿尼の振舞いです。<br />景綱未亡人が「謙信から『跡継ぎは景勝』と遺言を承った」と主張した話は、実際記録に残ってるらしいんですね。しかしその理由が、家臣間の対立を鎮めるためつい口走ったという設定には呆れました。激しい言い争いを見兼ねたとはいえ、お家の後継者決定という超重要事項が、彼女の「出来心の嘘」から決定してしまうなんて情けなさ過ぎます。<br />史実通りやれとは言いませんが、もっと説得力のある展開にして欲しいです…。<br /><br />おまけにその後、お船が母親を庇うため「亡き父は常々、上杉の跡取りは景勝様にすべきと話していました」と仙桃院に訴えてましたが、景綱が景勝に肩入れしていた描写なんて今まで全くなかったような…？？<br />このドラマって、北斗七星などのエピソードはしつこいくらい繰り返すのに、こういう伏線を張るという事をしないですよね。後から思いついたアイデアをその都度盛り込んで、台詞で状況説明させて済ましているだけに感じられてなりません。<br />そして女三人で嘘をつき通すことに決めたのはともかく、なぜ真相を唯一打ち明ける人物が、よりによって兼ちゃんなのだろう。家族なのだし、お船の夫・直江信綱に相談するのが普通じゃないんでしょうか。彼は上杉家の重臣でもあるというのにさ。お船ちゃんは結婚後もなんだかんだと兼続と顔を合わせてるし、結局婿のことはどーでもいいのかしら。 ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-03-03T23:07:01+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『源義経』</title>
<description> NHK大河ドラマ総集編 源義経 2枚組 [DVD]村上元三 アミューズソフトエンタテインメント  2004-12-24売り上げランキング : 38286おすすめ平均  Amazonで詳しく見る by G-Tools＜あらすじ＞・第1話「鞍馬の火祭」鞍馬寺に預けられている源義朝の遺児・牛若（尾上菊之助）の所に、源氏の残党である正門坊こと鎌田正近（土方弘）らが訪ねて来るが、牛若は彼らの嘘を見破り追い返す。一行に騙されてついて来ていた喜三太（常田富士男）
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<![CDATA[ <table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006FGWQU/ramblingrose-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21Z1SF96EGL._SL160_.jpg" border="0" alt="NHK大河ドラマ総集編 源義経 2枚組 [DVD]" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8-%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C-2%E6%9E%9A%E7%B5%84-DVD-%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E4%B9%8B%E5%8A%A9/dp/B0006FGWQU%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB0006FGWQU" target="_blank">NHK大河ドラマ総集編 源義経 2枚組 [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ramblingrose-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" style="border: none;" alt="" /><br />村上元三 <br /><br />アミューズソフトエンタテインメント  2004-12-24<br />売り上げランキング : 38286<br />おすすめ平均  <img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-4-0.gif" /><br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8-%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C-2%E6%9E%9A%E7%B5%84-DVD-%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E4%B9%8B%E5%8A%A9/dp/B0006FGWQU%3FSubscriptionId%3D15SMZCTB9V8NGR2TW082%26tag%3Dramblingrose-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB0006FGWQU" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font> <font size="-2">by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br />＜あらすじ＞<br />・第1話「鞍馬の火祭」<br />鞍馬寺に預けられている源義朝の遺児・牛若（尾上菊之助）の所に、源氏の残党である正門坊こと鎌田正近（土方弘）らが訪ねて来るが、牛若は彼らの嘘を見破り追い返す。一行に騙されてついて来ていた喜三太（常田富士男）は、家来にして欲しいと牛若に頼むが断られる。<br />一方で商人の金売り吉次（加東大介）は、牛若を奥州の藤原秀衡のもとへ連れて行こうと企むが・・・。<br /><br />・第33話「壇ノ浦」<br />義経は源氏の指揮官として数々の戦いに勝利し平氏を追いつめ、長門国壇ノ浦でついに最後の決戦を迎える。開戦後しばらくは平知盛（市村竹之丞）率いる平氏方が優位に戦いを進めるが、やがて潮の流れが反転すると形勢は一変。敗北を悟った平氏一門は次々と海中へ身を投じ、義経はついに打倒平氏という長年の宿願を果たす。<br /><br />・第52話(最終話)「雲のゆくえ」<br />藤原泰衡（片山明彦）が自分を討とうとしている事を知った義経は、郎党たちと最後の宴を開いた。攻め寄せて来た藤原氏の大軍を相手に、武蔵坊弁慶（緒形拳）らは鬼神の如く奮戦するが、やがて皆力つきて斃れていき、義経も持仏堂に籠り妻子と共に自害を遂げる。<br />数ヶ月後、源頼朝（芥川比呂志）が奥州征伐へ出陣。敗れた泰衡は火を放って逃亡し、平泉の都は灰燼に帰した。そして義経の最期の地を訪れた頼朝は・・・。 ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-02-26T23:59:43+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>TV『その時歴史が動いた～保元・平治の乱』</title>
<description> 　今からおよそ８５０年前の平安末期、京都でふたつの大きな戦乱が繰り広げられた。「保元・平治の乱」である。この戦いは「武士」の地位を大きく押し上げ、こののち６００年余り続く武家政権の原点となった。この嵐の中心にいたのが、武士の名門「源氏」の当主源 義朝(みなもとのよしとも)である。　貴族の世の京都。武士は、貴族に都合よく使われる使用人のような立場だった。関東の実力主義のなかで育った義朝は、「保元の乱」
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<![CDATA[ <blockquote><p>　今からおよそ８５０年前の平安末期、京都でふたつの大きな戦乱が繰り広げられた。「保元・平治の乱」である。この戦いは「武士」の地位を大きく押し上げ、こののち６００年余り続く武家政権の原点となった。この嵐の中心にいたのが、武士の名門「源氏」の当主源 義朝(みなもとのよしとも)である。<br />　貴族の世の京都。武士は、貴族に都合よく使われる使用人のような立場だった。関東の実力主義のなかで育った義朝は、「保元の乱」でいちばんの戦功をあげ、自軍の勝利に貢献する。しかし武士の立場を低く見る貴族の態度は変わらない。義朝は武士の境遇を変えようと「平治の乱」を起こし有力貴族を倒すことに成功するが、そこには思わぬ落とし穴があった－。<br />　己の境遇と闘い、武士を歴史の表舞台に押し上げるため邁進した源義朝の戦いに迫る。</p></blockquote> ]]>
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<dc:subject>ドキュメンタリー</dc:subject>
<dc:date>2009-02-11T17:32:03+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『天地人』第４回「年上の女」</title>
<description> 第一回の放送後はわりと好意的な感想を書きましたが、最後まで見続けられるか早くも不安になってしまいましたほとんどラブコメと化しているのは今のうちだけ・・・と信じたいのでそこは我慢するとして、景勝の描き方がどうもなあ～。大人になってから、ひたすら恋に思い詰めてキョドってる姿ばかりで、いい所なしじゃん。景虎と対比させる意図があるのだろうとはいえ、あまりにもパッとしなさ過ぎじゃないの？口数は少ないけど、繊
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<![CDATA[ 第一回の放送後はわりと好意的な感想を書きましたが、最後まで見続けられるか早くも不安になってしまいました<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/v/356.gif"  class="emoji" style="border:none;" /><br />ほとんどラブコメと化しているのは今のうちだけ・・・と信じたいのでそこは我慢するとして、景勝の描き方がどうもなあ～。大人になってから、ひたすら恋に思い詰めてキョドってる姿ばかりで、いい所なしじゃん。景虎と対比させる意図があるのだろうとはいえ、あまりにもパッとしなさ過ぎじゃないの？口数は少ないけど、繊細で利発なあの喜平次はどこにいったんだ！と問い詰めたい。<br />先週のラスト、いよいよ殿（景勝）の初陣だーって所で終わったから、春日山城で留守居の兼続同様こちらも期待を膨らませてたのに、結果はナレーションで済まされてしまっててガックリ。別に大規模な戦闘シーンはやらなくてもいいけど、奮闘して初陣を飾った勇姿を少しでも見せて欲しかったです。<br /><br />謙信も何だかすっかり、マイホームパパ状態ですよねえ。<br />今回最後の方で、兼続が「信長への使者に自分も加えて下さい」と<s>あつかましく</s>直談判したら、怒りもせずにあっさりOK出してて目が点になりました。一応、直の主君である景勝の了承を得ている＆兼続の才気（も、私にはあまり感じられないんですが…）を見抜いてる設定とは言え、まだ14,5歳の小僧の身の程知らずな申出を快く聞いてやるなんて、「義と礼節」を重んじてたと言われる謙信にありえねー。いつからこんな物わかりのよいオジさんになったんだか(笑)。<br /><br />毎週出てくる必然性がいまいちわからない織田家ですが、それでも吉川信長にはまだかろうじて戦国の雰囲気が感じられて、いまや心の拠り所状態？です（＾＾； ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-01-31T22:51:03+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>闇に葬られた皇族(２) ー 伊予親王</title>
<description> ＜前回の記事(１)はこちらへ＞桓武天皇の血縁者で政争の犠牲になった人物といえば、まず第一に挙げられるのが彼の皇太弟でありながら、藤原種継暗殺事件の疑いをかけられ憤死した、崇道天皇こと早良親王がいますね。その経緯と、彼の怨霊の祟りが長く怖れられたことは割と有名かと思うので、ここでは早良親王と同様の末路を辿った桓武天皇の皇子・伊予親王の話を紹介します。◆桓武に愛された皇子伊予親王の正確な生年は不詳ですが
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<![CDATA[ ＜前回の記事(１)は<a href="http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-449.html">こちら</a>へ＞<br /><br />桓武天皇の血縁者で政争の犠牲になった人物といえば、まず第一に挙げられるのが彼の皇太弟でありながら、藤原種継暗殺事件の疑いをかけられ憤死した、崇道天皇こと早良親王がいますね。その経緯と、彼の怨霊の祟りが長く怖れられたことは割と有名かと思うので、ここでは早良親王と同様の末路を辿った桓武天皇の皇子・伊予親王の話を紹介します。<br /><br /><strong>◆桓武に愛された皇子</strong><br />伊予親王の正確な生年は不詳ですが、延暦11年(792)加冠の儀を受け元服している記録があります。延暦５年(786)生である異母兄弟の大伴親王（後の淳和天皇）・葛原親王が、延暦17年(798)に13歳で加冠の儀を受けている事から推測すると、伊予親王はおそらく宝亀12年(780)前後の生誕ではないかと思われます。年齢的には、安殿親王（後の平城天皇）に次ぐ二番目の皇子になります。母は藤原吉子といい、藤原南家出身の女性でした。<br />伊予親王は父の桓武天皇に深く愛されていたと伝えられており、天皇は遊猟や巡幸に際して親王と吉子のもとを度々訪れ、歓楽を共にしたことが『日本紀略』などに記されています。その他にも天皇より帯剣を許可されたり、『日本後紀』には延暦23年(804)に近江国の土地を賜ったという記事も見られます。<br /><br />延暦25年３月に桓武天皇が亡くなり、安殿親王が平城天皇として即位。天皇の同母弟である神野親王（後の嵯峨天皇）が皇太弟に立てられ、伊予親王は中務卿兼太宰帥（大宰府の長官）に任ぜられました。翌年５月、天皇が神泉苑（大内裏の庭園）に行幸した際に、伊予親王は奉献を行って宴会にも参加しており、兄帝との関係も上手くいってるかに見えました。<br />しかしその５ヶ月後、親王の運命は急変します。<br /><br /><strong>◆伊予親王の変</strong><br />大同２年(807)10月28日。「藤原宗成が伊予親王へ謀反を勧めているらしい」という情報を大納言・藤原雄友（親王の母方の伯父）が聞きつけ、驚いた雄友は右大臣の藤原内麻呂に報告。また親王自身も、宗成に誘われた件を即座に平城天皇へ奏上しました。<br />宗成は連行され取調べを受けますが、彼が「伊予親王こそが計画の首謀者だ」と主張したため、親王は邸を多数の兵により囲まれ、捕われの身となってしまいます。数日後、母の吉子と共に大和の川原寺に幽閉。親王と吉子は無実を主張しますが訴えは通じず、それどころか飲食を断たれる仕打ちを受けます。<br />11月11日、親王は解任されその位を廃されました。前途を悲観した母子は翌日、自ら毒を仰ぎ命を断つという悲劇的な結末を迎えました。<br /><br />宗成は流刑が決定し、また伯父の雄友や親王の３人の子供たちも、連座として遠流になりました。 ]]>
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<dc:subject>人物伝</dc:subject>
<dc:date>2009-01-28T19:02:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『天地人』第３回「殿の初恋」</title>
<description> 初回から「演出過剰な部分が見られる」と散々（といっても２回だけｗ）書きましたが、今回の放送を見て、もっとピッタリくる言い方があることに気がつきました。はっきり言わせてもらうとセンスが古い！！どこまでが原作にあるエピソードなのか知りませんが、奥手すぎる景勝のために勝手にラブレター代筆とか、兼続の決め言葉「これはしたり」で頭ポリポリとか、とどめに景虎の舞に感動した侍女が失神とかさ～。どう考えても二昔く
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<![CDATA[ 初回から「演出過剰な部分が見られる」と散々（といっても２回だけｗ）書きましたが、今回の放送を見て、もっとピッタリくる言い方があることに気がつきました。<br />はっきり言わせてもらうと<span style="font-size:large;">センスが古い！！</span><br /><br />どこまでが原作にあるエピソードなのか知りませんが、奥手すぎる景勝のために勝手にラブレター代筆とか、兼続の決め言葉「これはしたり」で頭ポリポリとか、とどめに景虎の舞に感動した侍女が失神とかさ～。どう考えても二昔くらい前のセンスとしか思えません。それも漫画的な。<br />そこを笑い飛ばして楽しんじゃうという手もありますが、それならそれでもっと徹底してくれというか…。もっとも娯楽ものの時代劇でも、手垢つきまくりな設定や演出がお約束になってたりしますが、なんかそれとはまた違うんですよねえ。<br />そんなに嫌だったら見るの止めろ！と思われそうですし、私もあまり口煩く言うのは本意でないんだけど…でもお笑い芸人用語で表現するならば「寒かった」のが本音かな。楽しんで見られた方すいません。やっぱり登場人物たちに思い入れがあるのと、戦国武将ものということで、どうしても男らしさや渋い雰囲気を期待してしまう部分があるのです。<br /><br />あっ毎回ラスト近くに少しだけ登場する織田さん家の主従ですが、タイトルの意味を信長が口にしてましたね。「ちょっと、なぜアンタが解説しちゃうんだ！」と狼狽してしまいました(笑)。元々の由来は、『北越軍談』という上杉氏の軍紀物中の『謙信公語類』に出てくる言葉なので、ドラマでも謙信が言うのかなーと思ってたんだけど。また後で繰り返されることになるんでしょうか。<br />（「天地人」の詳しい意味については、以下のサイトを参照して下さいね）<br />・<a href="http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/check01/index.html" target="_blank">大河ドラマ 天地人：謙信の言葉「天地人」信長のセリフで登場！</a><br />・<a href="http://naoe.oki-tama.jp/?p=listlog&c=1703" target="_blank">「天地人」直江兼続やまがた情報局｜天地人とは</a><br /><br />あと前回から思ってたんだけど、やけに喜劇的に誇張した演技が目立つ老け顔秀吉ですが、これは信長の前ではあえて道化を演じているという意味なのかな？<br /> ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-01-20T19:01:31+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>闇に葬られた皇族(１) ー 井上内親王</title>
<description> 『その時歴史が動いた～平安京誕生』の記事で言及した、井上内親王のお話です。彼女は内親王という高貴な生まれながら、波瀾万丈で悲劇的な人生を余儀なくされました。◆日陰の内親王から皇后へ井上内親王は養老元年(717)、聖武天皇（当時は皇太子）の第一皇女として誕生しました。母は県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)といい、同母の弟妹には不破内親王(?～795?)と安積親王(728～744)がいます。また藤原不比等の娘・光明子
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<![CDATA[ <a href="http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-444.html">『その時歴史が動いた～平安京誕生』</a>の記事で言及した、井上内親王のお話です。<br />彼女は内親王という高貴な生まれながら、波瀾万丈で悲劇的な人生を余儀なくされました。<br /><br /><strong>◆日陰の内親王から皇后へ</strong><br />井上内親王は養老元年(717)、聖武天皇（当時は皇太子）の第一皇女として誕生しました。<br />母は県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)といい、同母の弟妹には不破内親王(?～795?)と安積親王(728～744)がいます。また藤原不比等の娘・光明子（後の光明皇后）を母とする阿部内親王（後の孝謙・称徳天皇）は、一つ年下になります。<br />彼女は幼くして、伊勢神宮で巫女として仕える斎王に選ばれ、神亀４年(727)わずか11歳で家族と別れ伊勢に下向します。その後15年以上の長きに渡り神に奉仕しますが、弟・安積親王の死を受けて奈良に戻る事になりました*1。<br /><br />安積親王は聖武天皇の唯一の男子*2で、本来なら皇太子とされるべきですが、何としてもそれを避けたかったのが藤原氏。権力を独占し始めていた彼らにとって、藤原氏の母を持たない安積は甚だ好ましくない存在だったのです。彼らはまず光明子を強引に立后し、天平10年(738)には阿部内親王が初の女性皇太子に定められました。<br />６年後、安積親王は難波への行幸の途中、急な発病により17歳の若さで没しました。死因は公的には脚気とされていますが、一説には藤原仲麻呂に殺されたとも言われています。<br /><br />さて井上内親王は帰京後しばらくして、白壁王という皇族の許に嫁がされました。<br />彼は天智天皇の孫に当たりますが、当時の皇統は天武天皇の子孫であったため、出世コースとは程遠い存在。「変に有力者に縁付かせると、彼女を担いで反乱を起こされる可能性がある。凡庸で冴えない白壁王に押し付けておけば安心だろう」と、適当に見繕われたのかもしれません。<br />結婚後は、他戸親王と酒人内親王という二子をもうけ、それなりに平穏に暮らしていたと思われます。また白壁王の官位も、天皇の姉の夫ということで順調に昇進するようになりました。<br /><br />神護景雲４年(770)、称徳天皇が崩御。後継者として藤原氏一門が推挙したのは、なんと他ならぬ白壁王でした。彼は光仁天皇として即位し、井上内親王は皇后に、そして息子の他戸親王が皇太子とされました。<br />若くして非業の死を遂げた弟や、８年前に亡くなっていた母のことを思うと、彼女の胸中には複雑ながらも感慨深いものがあったのではないでしょうか。<br /><br /><strong>◆運命の暗転</strong><br />しかし、井上内親王の栄華の日々はつかの間のことでした。<br />２年後、彼女は夫を呪詛したという罪で皇后位を剥奪され、同時に他戸親王も皇太子を廃されてしまったのです。さらに翌年、難波内親王（光仁天皇の姉妹）を呪い殺した罪にも問われ、母子共に幽閉されてしまいます。<br />そして宝亀６年(775)４月27日、２人は幽閉先で亡くなりました。同日の死亡というのはいかにも怪しく、おそらく自然死ではないでしょう。<br /><br />そもそも、光仁天皇は即位した時すでに62歳。仮に夫婦仲が冷えきっていたとしても、わざわざ呪詛なぞせずとも何年かやり過ごして待てば、言葉は悪いですがそのうち寿命がくるんじゃないでしょうか。他戸親王がいずれ皇位に就くことも決定していますし。<br />また難波内親王の件についても呪詛すべき理由は見当たらず、井上内親王母子は何らかの謀略によって陥れられた可能性が濃厚なのです。 ]]>
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<dc:subject>人物伝</dc:subject>
<dc:date>2009-01-14T22:30:26+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『天地人』第２回「泣き虫、与六」</title>
<description> 初回の視聴率、かなり高かったそうですね。まずは幸先良いスタートとなりましたが、過去の大河の中には最初は好調でも、回を追う毎に視聴率も内容も落ちていったものもありましたから、今後どうなるかですね。前回の感想を書かれているブログをいくつか見たり、自分の周りで話を聞いたりすると、直江兼続という人物を今まで知らなかったと言う人が結構多いんですねー。まあ彼は日本史の教科書には載ってないから、歴史に興味のない
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<![CDATA[ 初回の視聴率、かなり高かったそうですね。まずは幸先良いスタートとなりましたが、過去の大河の中には最初は好調でも、回を追う毎に視聴率も内容も落ちていったものもありましたから、今後どうなるかですね。<br /><br />前回の感想を書かれているブログをいくつか見たり、自分の周りで話を聞いたりすると、直江兼続という人物を今まで知らなかったと言う人が結構多いんですねー。まあ彼は日本史の教科書には載ってないから、歴史に興味のない方にとっては致し方がないのかも。上杉景勝は習いましたけどね、「五大老」の一人として（だけ…）。<br />こういう知名度の低い人物の功績を紹介するという意味では、大河ドラマはまだまだ効果が大きいのかなと改めて感じました。だからこそ、しっかりとした内容のものを作って欲しいです。<br /><br />さて今回のハイライトは、喜平次と与六が吹雪の中で、何が起ころうが終生揺るがぬ主従の絆を誓い合うところでした。<br />喜平次が泣きじゃくる与六をおんぶして帰る姿、その前の与六を迎えにきた喜平次に、お藤がそっと手を合わせるシーンなどは、しみじみしてよかったと思います。あと与六の様子を見に来た喜平次が、差し入れ？のおにぎりを手にしてたのもキュンと(死語)きました。<br />しかし引っかかったのが、喜平次が「与六になら何でも話せる」と見込んだ理由が、いまいち伝わらなかったこと。自分に対し遠慮がちな他の小姓たちと違い、与六は幼いながらも思ったことをはっきり口にするので、喜平次も素直になれるということでしょうか？？<br />あまりに何でも説明し過ぎる脚本・演出は個人的に好きでないものの、この場合は心の機微をもう少し丁寧に描いて欲しかったなと思います。 ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-01-12T19:30:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>大河ドラマ『天地人』第１回「五歳の家臣」</title>
<description> いよいよ始まりましたね～2009年の大河ドラマ『天地人』。このドラマに関しては、前宣伝でやたら「愛」を連発（それも本来の意味と違う…）していたり、原作小説や脚本家の人の評判が微妙だったりと、期待感が萎えるような話ばかりが耳に入っていました。ネット上で目にする意見も、厳しいものが多数でしたし。しかし第１回の放送を見た限りでは、まだ様子見な部分も多いとはいえ、なかなか良かったんじゃないでしょうか。て、なん
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<![CDATA[ いよいよ始まりましたね～2009年の大河ドラマ『天地人』。<br />このドラマに関しては、前宣伝でやたら「愛」を連発（それも本来の意味と違う…）していたり、原作小説や脚本家の人の評判が微妙だったりと、期待感が萎えるような話ばかりが耳に入っていました。ネット上で目にする意見も、厳しいものが多数でしたし。<br />しかし第１回の放送を見た限りでは、まだ様子見な部分も多いとはいえ、なかなか良かったんじゃないでしょうか。て、なんだか毎年初回はよかったと言ってるような(笑)。いくつか気になった点もあったものの、主要なキャストの好演もあって、概ね面白く見ることができました。<br /><br />一番の見どころは、言うまでもなく与六＆喜平次役の２人の子役と、戦国ゲームから抜け出て来たかのような阿部ちゃん謙信でしょうね。<br />少年与六クンは、弟の与七共々、めちゃくちゃかわいかったな～♪一生懸命なしぐさや台詞も微笑ましくて。大好きな父上や母上と別れるシーンでは、「子供を使って泣かせるのはズルいぞ！」と心の片隅で思いながらも、与六が大粒の涙をポロポロ流す姿についもらい泣き。<br />喜平次役は、整った顔立ちで利口そうな子でしたね。父親の不慮の死に深く傷ついている胸の内を上手く演じていました。謙信と２人で狩りに出るシーンがよかったです。しかし子供の頃から無口で笑わない設定なのか…。<br /><br />その謙信殿、とにかく目力が凄すぎ、存在感ありまくり。長尾政景の死を聞いて坂戸城に駆けつけ、城門の構えを叩き斬って入城するシーンなど、ほとんど人間離れしていて笑ってしまいました。後述しますが、今回所々でやや過剰な演出が鼻についたんですけども、あーいう戯画化は許します。完全に贔屓ですいません(＾＾；) 次回以降もガンガン暴れて下さい。<br />お屋形さまがあんなんだからか上杉の家臣も、どいつもこいつもむさ苦しい輩ですな。ワイルドなのはよいのですが、何だか山賊チックにも見える…!?<br /><br />懸念していた脚本は、ホームドラマ的な雰囲気は強いけれども、全体的にはそんなに悪くなかったと思います。まあ初回から破綻されてても困るわけですが。でもプロローグの大坂城でのシーンは別にいらなかったかも。代わりに当時の上杉家・長尾家の関係や時代の情勢について、もう少し詳しく説明してもよかったのではないかと感じました。<br />むしろ気になったのは、やり過ぎな箇所が見られた演出。与六が北高全祝に叱られ雷を落とされると、空でも雷が鳴ったりとか。もしくは大坂城からの帰途、景勝を追って『とのぉお！』と飛び跳ねちゃう兼続とか。昭和の青春ドラマか！<br />まあ過剰な演出は今に始まった事じゃなく、ここ最近の大河の傾向のようにも感じますねー。 ]]>
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<dc:subject>その他大河ドラマ</dc:subject>
<dc:date>2009-01-05T22:47:26+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>謹賀新年</title>
<description> 明けましておめでとうございますChildren&#039;s Gathering on New Year&#039;s Day, 1910s, originally uploaded by Gatochy.昨年拙ブログを閲覧していただいた皆様、どうもありがとうございました。今年もおそらく、相も変わらず不定期更新、取り上げるテーマはその時の気分次第といういい加減なブログになるとは思いますが、お暇な時に覗きに来ていただければ嬉しいです。お店に例えるならば、高級な逸品を取り揃えている専門店ではなく、
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<![CDATA[ <span style="font-size:large; color:#FF0000">明けましておめでとうございます</span><br /><div style="padding: 3px; text-align: center;"><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/gatochy/3148488609/" title="photo sharing"><img alt="" src="http://farm4.static.flickr.com/3228/3148488609_a0b4204e6e.jpg" style="border: 2px solid rgb(0, 0, 0);" /></a><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/gatochy/3148488609/">Children's Gathering on New Year's Day, 1910s</a>, originally uploaded by <a href="http://www.flickr.com/people/gatochy/">Gatochy</a>.</div><br /><br />昨年拙ブログを閲覧していただいた皆様、どうもありがとうございました。<br />今年もおそらく、相も変わらず不定期更新、取り上げるテーマはその時の気分次第といういい加減なブログになるとは思いますが、お暇な時に覗きに来ていただければ嬉しいです。<br />お店に例えるならば、高級な逸品を取り揃えている専門店ではなく、ちょっと変わった物をゴチャゴチャと置いている雑貨屋さん（イメージ的には、ヴィレッジヴァンガードのような感じ…？）を目指してみようかなーなどと思っています。わかりにくい例えですかね(笑)。<br />何はともあれ、どうぞよろしくお願いいたします。 ]]>
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<dc:subject>徒然雑記</dc:subject>
<dc:date>2009-01-01T12:00:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>姫路城</title>
<description> 姫路城に行って来ました！といっても、９月末の話なんですが・・・(汗)以前、城内にある歴史博物館に行った時に記事を書いたことがありましたが、その時は天守閣の外観を何枚か撮影したのみで内部の見学はしなかったのと、内容もあまり詳しいものではなかったため、今回改めて書き直してみました。（＊クリックすると画像が拡大します）表口にあたる大手門。往時の城には、防備のため全部で３つの門が構えられ、この門は「桐二ノ門
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<![CDATA[ 姫路城に行って来ました！といっても、９月末の話なんですが・・・(汗)<br />以前、城内にある歴史博物館に行った時に記事を書いたことがありましたが、その時は天守閣の外観を何枚か撮影したのみで内部の見学はしなかったのと、内容もあまり詳しいものではなかったため、今回改めて書き直してみました。<br /><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/kagechiyo/2347006910/" title="姫路城４ by Kagechiyo, on Flickr"><img src="http://farm3.static.flickr.com/2078/2347006910_8a2ef139f0_m.jpg" width="240" height="180" alt="姫路城４" /></a><br />（＊クリックすると画像が拡大します）<br /><br />表口にあたる大手門。往時の城には、防備のため全部で３つの門が構えられ、この門は「桐二ノ門」と呼ばれていたそうです。明治初期、兵舎になった時に洋風の門に変えられましたが、昭和12年(1937)現在の姿に復元されました。<br /><br />姫路城の歴史は、赤松則村(円心)が播磨国姫山に築いていた砦を、正平元年(1346)彼の息子の貞範が城の形体に改めたのに始まります*。赤松氏の一族・小寺氏が城代に定められ、代々世襲しましたが、戦国時代に入ると小寺氏の被官である黒田氏が城主となりました。<br />天正８年(1580)、黒田孝高の勧めで、羽柴秀吉が西国攻略の拠点として入城。秀吉は３層の天守閣を築き、城下町を整備しました。現在の城郭は、慶長６年(1601)関ヶ原の合戦の恩賞として播磨を与えられた池田輝政が、８年の歳月を費やして改修したものです。<br />池田氏が転封になった後は、本多氏・松平氏・榊原氏・酒井氏と城主は目まぐるしく変わりましたが、山陽道上の要地として親藩や普代の大名が統治しました。<br /><br />*＝最近の研究では、築城は16世紀中頃の黒田重隆・職隆（孝高の祖父と父）の時とする説もあるそうです。 ]]>
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<dc:subject>史跡探訪</dc:subject>
<dc:date>2008-12-28T09:54:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>TV『その時歴史が動いた～平安京誕生』</title>
<description> 　千年の都・京都の原点「平安京」。その誕生の裏には、時の桓武天皇をめぐる血ぬられた争いと苦悩が秘められていた。奈良時代の末、平城京での激しい権力闘争の中で桓武天皇は「遷都」によって政治体制の一新をもくろむ。しかし極秘裏に進めた最初の遷都は大きな反発を呼んだ。窮地に陥った桓武天皇はさらなる遷都で理想の都作りをめざす。「平らかで安らかな都＝平安京」と名づけた桓武天皇の思い、そして京都誕生の時を描く。　
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<![CDATA[ <blockquote><p>　千年の都・京都の原点「平安京」。その誕生の裏には、時の桓武天皇をめぐる血ぬられた争いと苦悩が秘められていた。奈良時代の末、平城京での激しい権力闘争の中で桓武天皇は「遷都」によって政治体制の一新をもくろむ。しかし極秘裏に進めた最初の遷都は大きな反発を呼んだ。窮地に陥った桓武天皇はさらなる遷都で理想の都作りをめざす。「平らかで安らかな都＝平安京」と名づけた桓武天皇の思い、そして京都誕生の時を描く。<br />　番組では、桓武天皇が最初に都を移した京都の西隣の「長岡京」にも注目。近年の発掘調査によって、これまで平安京遷都までの仮の都と考えられていた長岡京の実像が明らかになってきている。長岡京は水運や衛生の利便を計算に入れ、それまでの奈良平城京の弱点を克服しようと計画的に造営された本格的都市だった。桓武天皇の幻の都・長岡京の実像もＣＧなどをまじえて紹介する。</p></blockquote> ]]>
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<dc:subject>ドキュメンタリー</dc:subject>
<dc:date>2008-12-22T21:14:17+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>ドラマ『母恋ひの記』</title>
<description> 出演：黒木瞳（北の方）劇団ひとり（藤原滋幹）大滝秀治（藤原国経）長塚京三（藤原時平）川久保拓司（藤原敦忠）内山理名（右近）本田博太郎（藤原菅根）平安時代初期。絶世の美女と謳われていた北の方は、50歳以上も年上の大納言・藤原国経と結ばれ、２人の間には息子の滋幹が誕生した。だが北の方は、時の権力者である左大臣・藤原時平に奪い去られ、母子は理不尽にも引き裂かれる。時は流れ、成人した滋幹は母への思いを募らせ
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<![CDATA[ 出演：黒木瞳（北の方）劇団ひとり（藤原滋幹）大滝秀治（藤原国経）長塚京三（藤原時平）川久保拓司（藤原敦忠）内山理名（右近）本田博太郎（藤原菅根）<br /><br />平安時代初期。絶世の美女と謳われていた北の方は、50歳以上も年上の大納言・藤原国経と結ばれ、２人の間には息子の滋幹が誕生した。だが北の方は、時の権力者である左大臣・藤原時平に奪い去られ、母子は理不尽にも引き裂かれる。<br />時は流れ、成人した滋幹は母への思いを募らせるが、異父弟の敦忠により再会のチャンスをことごとく邪魔されてしまう。事情を知らない滋幹は、次第に「母はもう自分と絶縁したいのではないか」という疑心暗鬼が生じてくるが…。<br /><br />谷崎潤一郎の小説『少将滋幹の母』を大胆に脚色しドラマ化。妄執から自由になれない人間の情念を描く。 ]]>
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<dc:subject>時代劇・歴史劇</dc:subject>
<dc:date>2008-12-20T22:52:35+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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<title>生き残り義士の末裔</title>
<description> MSN産経ニュース「赤穂義士の寺坂吉右衛門の子孫が出世」　赤穂義士でただ一人切腹せずに天寿をまっとうした寺坂吉右衛門。足軽の身分だったが、子孫は主君の側近として仕える武士に“出世”していたことを記す書状が、兵庫県赤穂市の大石神社で見つかった。（中略）　書状は、大石内蔵助の一族の流れをくむ子孫が、同神社に寄贈した「弘前大石家文書」の一部。寛政２（1790）年、当時寺坂の子孫が仕えていた高知新田藩の山内家に、
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<![CDATA[ <blockquote><p><a href="http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081204/trd0812042158011-n1.htm" target="_blank">MSN産経ニュース「赤穂義士の寺坂吉右衛門の子孫が出世」</a><br />　赤穂義士でただ一人切腹せずに天寿をまっとうした寺坂吉右衛門。足軽の身分だったが、子孫は主君の側近として仕える武士に“出世”していたことを記す書状が、兵庫県赤穂市の大石神社で見つかった。（中略）<br />　書状は、大石内蔵助の一族の流れをくむ子孫が、同神社に寄贈した「弘前大石家文書」の一部。寛政２（1790）年、当時寺坂の子孫が仕えていた高知新田藩の山内家に、寺坂家の現況などを問い合わせたのに対し、山内家の家臣が答えた書状とみられる。文面には「今は３代目の吉右衛門で、婿養子のため血脈は続いていないが、主君の側頭を務めている」などとあった。側頭は主君の近くに仕える身分。<br />　寺坂は、義士が吉良邸討ち入り後、泉岳寺に立ち寄った際に姿がなく、その後、寺男を経て山内家に仕えたことが知られている。（中略）<br />　調査した同神社の佐藤誠非常勤学芸員は「足軽だった寺坂が討ち入り後、他藩に仕官でき、孫が側近にまで出世していたことは、当時の社会が寺坂に対して義士としての功績を認めていた証拠」と話し、忠臣蔵資料に詳しい赤穂市教委市史編さん室の小野真一学芸員は「寺坂の子孫の様子を記す史料は珍しい。孫が主君の側近にまでなったということは、当時の“義士ブランド”の価値を知るうえで興味深い」と話している。</p></blockquote><br />寺坂吉右衛門が逐電した真相については定かでないものの、一般的には「大石内蔵助の命により、事の顛末を浅野家の人々に伝えるため逃亡した」という説が取られる事が多いようです。<br />この書状も、大石の一族の子孫が寺坂家について尋ねたものの返書ということで、寺坂が裏切者ではなく義士の一員として認識されていた事を表しているのではと思います。<br /><br />寺坂はその後、旧主・吉田忠左衛門（四十七士の一人）の娘婿に奉公した後、東京麻布にある曹渓寺の寺男となり、最後は土佐山内家の一族である主膳豊清に仕えたそうです。この豊清の養子・豊産(とよただ)が、高知新田藩の初代藩主になったので、寺坂の子孫もそのままついて行ったんでしょうね。<br /><br /><br />ところで忠臣蔵といえば、先日こんな映画製作のニュースが飛び込んできました。<br /><br /><a href="http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d00000gsgm9.html" target="_blank">バラエティ・ジャパン | キアヌ・リーヴスがハリウッド版「忠臣蔵」に主演決定</a><br /><i>日本の伝統的な「忠臣蔵」に『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジーの要素と、『グラディエーター』のようなバトルシーンをミックスした作品になるという。</i><br /><br />どう考えても、とてつもないトホホ映画になる予感しかしないんですけど・・・。<br />バトルシーンはまだしも、何をどうすれば忠臣蔵にファンタジー要素を加えられるのでしょうか(笑)<br />ハリウッド的には「『レッドクリフ』に負けられん」て感じなんですかねー？<br />まあ、よい意味で期待を裏切ってくれる出来になればいいですね（無理やりなまとめ）<br /><br />＊関連記事＝<a href="http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-278.html">ドラマ『最後の忠臣蔵』</a> ]]>
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<dc:subject>日本史News</dc:subject>
<dc:date>2008-12-14T11:34:46+09:00</dc:date>
<dc:creator>影千代</dc:creator>
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